こんにちは
クローバーです^^
今回の引き寄せの法則と潜在意識の法則は
人間学で「日本画家・東山魁夷氏から学ぶ」です。
【目次】
画壇・東山魁夷氏
今回のお話は致知2019年2月号より
泉屋博古館分館長の野地耕一郎さんのお話を元に
日本画家・東山魁夷氏のお話から学びたいと思います。
東山魁夷氏は明治41年に神奈川に生まれ、
現在の東京藝術大学を卒業後、ドイツに留学し
昭和22年に「日展」に出展し「残照」という作品が
特選になり「画壇」に認められています。
その後、日展の理事長となり
文化勲章を受章されています。
私自身、画家の世界には詳しいワケではありませんので
簡単に書かせていただきますと
「日展」というのは「日本画」「洋画」「工芸美術」
「彫刻」「書」の五つの部門からなる総合美術展で
世界でも類を見ないほど大規模の公募展ということです。
日展で賞を得る事は
その業界で最も注目を浴びる画家や工芸家、書家などの
一人となることでしょう。
「画壇」というのは簡単に言えば
「画家の社会」という事ですので
「画壇に認められる」というのは「画家の社会で認められる」
という事になるのでしょう。
泉屋博古館分館長の野地さんが学芸員になった頃に
仕事を通じて何度も晩年の東山魁夷氏と交流したのですが
その頃の東山氏は「大家」でありながら
若い野地さんにも気さくに接してくれたのです。
そして東山氏の「何事にも真摯に取り組まれる姿勢」に
とても感銘を受け、それこそ、
仕事柄多くの画家に接してきている中でも
作品に懸ける厳しい姿勢は際立っていたのです。
【根津神社の拝殿】
よい絵描きであるためにはよい人間でなくてはならない
更には東山氏は弟子を取ることはありませんでしたが、
その理由としては
「自分の作品世界の修練にほとんどの時間を費やした」
という事です。
大家でありながら人には気さくに接し、
作品を創る時の厳しい姿勢と研究熱心な姿勢の源泉は
どこにあるのでしょうか。
野地耕一郎氏は次のように話しています。
何事も究めていこうとする東山の根底には、
自分は絵描きである前に人間であり、
よい絵を描くためにはよい人間でならなければならない
という思いがあった。
その思いをどこまでも高めた東山は、
まさに日本画家の求道者であった。
(引用:致知2019年2月号より)
東山氏との比較は
「月とスッポン」という言葉さえもおこがましいのですが^^;
私自身、ブログなどを書いたりしていますので
「よい絵を描くためにはよい人間でなくてはならない」
という一節は響くものがあります。
これは「作品を創る」という人たちだけではなく
あらゆる仕事にも言える事なのではないでしょうか。
【日枝神社の男坂】
戦争の体験からの気付き
東山氏がこのように道を求める原点の一つは
ドイツ留学中に父親が病で倒れ帰国したのちに
父親が亡くなり、戦争を挟んで母、兄、弟と
相次いで家族亡くなったのです。
そして東山氏自身も昭和20年、
敗色濃厚な時に応召、熊本の部隊に配属となりました。
その頃には自決が前提の訓練で
爆弾を抱えて敵の戦車の下に潜り込む訓練を
強いられていました。
そのような状況の時に熊本城を訪れ、
熊本城の天守閣から眺めた阿蘇山が
それまでの絵の対象とはまったく異なる美しさで
「なぜこんな美しい風景を見過ごしていたのか」と愕然とし、
「風景の美しさ」に対する哲学的な研究は
そこから始まったと野地氏は語ります。
「戦争」という体験を私たちの多くは知りません。
ですから、その点を「学ぶ」という事は
困難なのではないかと感じます。
では、今回のお話の
「素晴らしいモノを作る」という事に関して
どのようなことを学ぶ事が出来るのでしょうか。
心が籠もっているかどうか
それは東山氏が唐招提寺御影堂障壁画を
描き上げた後に語っている言葉にあります。
私自身、絵を描くのが特にうまいほうではありませんし、
上手に描こうとも思わないんです。
私にとって絵を描くことが祈りであるとすれば、
上手に祈るとか下手に祈るとかは問題ではないと思います。
心が籠もるか籠もらないか、それが問題だと思うんです。
「どれだけうまいかよりも心が籠もっているかどうか」
という事が問題だという事です。
私たちが物事に取り組むを振り返ってみると
まさに万事がここに尽きるのではないでしょうか。
仕事であれば「お客さん」や「同僚・仲間」に対して
心を籠めて仕事が出来ているでしょうか?
家庭の事であれば家族のために
心を籠めて料理をしたり、掃除をしたり
出来ているでしょうか?
「籠める」という字は
「力を注ぎこむ」という意味になります。
そう考えてみると
「上手下手よりも心を籠める」ということを
実践して行く過程で「人間を高める」とか
「絵の研究」などに対して努力に努力を重ねられるのでしょう。
先ほどもお話しましたが
東山氏が戦争を通じで体験したような
「壮絶な体験」をすることは
私たちにはできないかも知れません。
ですが、何事においても「心を籠める」
という事であれば実践できるのではないでしょうか。
また、
それを実践して行くことが必要なのではないでしょうか。
「月とスッポン」という言葉さえもおこがましいですが
私自身も出来ないながらも「心を籠めて」ブログなどを
書き続けようと改めて感じる事が出来ました。
私の願いの一つに
「このブログを通じて多くの人を成功と幸福に導く」
というモノがあります。
あなたが「よい人間になる」という事や
「心を籠める」という事から何かを得ていただいて
あなたの望んだ人生を得ていただくことが
私の願いでもあるのです。
という感じで今回はこのあたりで失礼します。
【縁結びのパワースポット】駒込稲荷神社~Nezu Jinja Shrine - Tokyo~
【関連コンテンツ】