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古事記の世界と天地開闢から別天津神(コトアマツカミ)・神世七代まで

こんにちは

クローバーです^^

 

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今回は「古事記の世界と天地開闢」の話です^^

 

 

 

【目次】

日本最古の歴史書「古事記」とは

 

日本最古の古事記書「古事記」とは

稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗記していた

「帝記(ていき)」と「旧辞(きゅうじ)」を

太安万侶(おおのやすまろ)が書き記し、

712年(和銅5年)に完成したものです。

 

「帝記」とは天皇の系譜を記したもので、

「旧辞」とは神話や伝承、歌謡を記したもので

これらを中心にまとめられたものが「古事記」です。

 

ちなみですが、古事記の原本は残っておらず、

現存するもので最古のモノでも

14世紀に造られた写本です。

 

古事記は上・中・下の3巻で構成されていて

上巻は神々様の物語である「神話」が記され、

中巻以降は歴代の天皇の事績が記されています。

 

元々は天武天皇の発案で編纂が始まり、

天武天皇の崩御に伴い編纂は中断していました。

 

711年(和銅4年)に元明天皇が

再び編纂を指示し、翌年712年(和銅5年)に

完成することになるのです。

 

【記紀】古事記と日本書紀

 

その8年後、720年(養老4年)に

舎人親王らによって全30巻の「日本書紀」が完成し、

「古事記」と「日本書紀」を総称して

「記紀」と呼びます。

 

古事記は「全3巻」に対して

日本書紀は「全30巻」ですし、

記述の方式も日本書紀は「編年式」に対して

古事記は「物語形式」となっていて

記述方式が古事記と日本書紀の大きな違いです。

 

「編年式」というのは

簡単に言えば「職務経歴書」のような形式です。

それに対して古事記は「物語形式」なので

多くの人々から好かれやすいのかも知れません^^

 

「古事記」は天地の始まりから記されているのに対し

「日本書紀」は淡々と年代順に出来事が続けられいますが、

日本書紀には「異聞」「異説」があるのに対して

古事記は物語なので、一本道を進んでいきます。

 

「記紀」のどちらにしても

「時の権力者」によって編纂が命じられていて

その「時の権力者」が「神々の末裔」とすることで

「支配を正当化しよう」とする目的も含まれています。

 

稗田阿礼と太安万侶

 

稗田阿礼(ひえだのあれ)とは

天武天皇に仕えていた暗唱力がズバ抜けて優れた舎人(とねり)です。

 

舎人(とねり)というのは天皇や皇族に仕え、

雑用や警護などを担当する「男性の役職」で、

「阿礼(あれ)」というのが

「巫女の総称」でもあることから、

「女性説」もある人物です。

 

太安万侶(おおのやすまろ)とは

奈良時代の文官で「当代一流の学者」とも言われていて

古事記の編纂者として知られています。

 

古事記の世界観

 

古事記の物語には「高天原(たかまがはら)」

「葦原中津国(あしはらなかつくに)」、

「黄泉の国(よみのくに)」「根の国」

「常世の国」があります。

 

「高天原」は「天上の世界」で

「天津神(あまつかみ)」と呼ばれる神々様が住まわれています。

 

古事記の冒頭で神々様が現れた場所であり、

のちにアマテラス様がお治めになられ、

想像上の場所とされていますが、

地上に実在するという説もあります。

 

「葦原中津国」は地上の世界(=日本)で

「国津神(くにつかみ)」と呼ばれる神々様が住まわれています。

 

「人間」は古事記の物語にはあまり出てきませんが

人間が住んでいるのも、葦原中津国です。

 

「黄泉の国」は地下にあるとされる「死者の国」で

黄泉比良坂(よもつひらさか)で地上(出雲)と繋がっていましたが

イザナギ様が出入り口を塞いでしまわれています。

 

ちなみに「根の国」も地下にあり、

「黄泉比良坂」で繋がっていますので

「黄泉の国」と「根の国」は

「同じもの」と考えられています。

 

スサノオ様が「イザナミ様がいるから根の国に行きたい」

と泣いて、イザナギ様がお怒りになり、

スサノオ様を追放した話は有名です。

 

「常世の国」とは海の彼方にある「理想郷」で

不老不死の世界とされていて

オオクニヌシ様の国造りを

手伝う少名彦命(スクナヒコナノミコト)が

こちらの常世の国から来たとされています。

 

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天地開闢(天地開闢)と別天津神(ことあまつかみ)

 

世界各国に「世界の始まり」に関する神話があり、

古事記でも、そこからスタートします。

 

その始まりは

「天地初めておこりしときに、

高天原に成りませる神の名は、

アメノミナカヌシノ」というモノです。

 

 

アメノミナカヌシノカミ様に続き、

タカミムスビ様、カミムスビ様が現れ、

独神(ひとりがみ)として身を隠すのですが、

「創世記」や「天地創造」にあるように

「神さまが天地を造った」という事はなく、

すでに「天地があった」という設定のようです。

 

 

簡単に言えば

「自然に世界ができた時に高天原に

次々に神々様が現れた」という事でしょう。

 

「独神(ひとりりがみ)」というのは

夫婦ではなく単独の神々様を指しています。

 

アメノミナカヌシノカミ様、

タカミムスビ様、カミムスビ様

単独で現れて、姿を隠しただけで

「何かをした」というワケではありません。

 

ですが、「造化三神」と呼ばれ、

「世界を形成する特別な力」を持つ「特別な存在」

という事になるのです。

 

次に、まだ国土が固まっていない時に

「葦(あし)の芽が伸びるような力」から

宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジ)様

天之常立神(アメノトコタチノカミ)様

2柱が現れて、同じく独神ですぐに身を隠します。

 

ちなみに、人間の単位は「○○人」ですが

神々様の単位は「柱」を使います。

 

ここまで現れた神々様は

別天津神(ことあまつかみ)」と呼ばれ、

「特別な存在」となっています。

 

「別天津神」の5柱の後に続いて

「神世七代」と呼ばれる神々様が現れます。

 

 

 

神世七代

 

「別天津神」の5柱が

「宇宙の創生」「天地開闢」に関する「特別な神々様」

という事に対して、天と地が分かれ、

ある程度境目が出来た時に「大地」や「国土」を

直接司るクニノトコタチノカミ様が現れ、

次に豊雲野神(トヨクモノカミ)様が現れました。

 

国之常立神(クニノトコタチノカミ)様も

トヨクモノカミ様も独神さまで、

すぐに姿を隠したとされています。

 

続いて、宇比地彌神(ウイヂニノカミ)・

須比智彌神(スイヂニノカミ)が現れ、

こちらの2柱は「男女ペアの神様」です。

 

ここで初めて神様に

「性別」が生まれました。

 

ちなみに

宇比地彌神(ウイヂニノカミ)様が男神様

須比智彌神(スイヂニ)様が女神様で

御神名に「泥」を意味する言葉が多く

砂や泥などで大地が形作られてきたと

表されているとされています。

 

更に「角のように芽が出る」という意味や

「生命力・活力」を意味する「イク」が御神名の

角杙神(ツヌグイ)さま・生杙神(イクグイ)さまが

現れています。

 

そして「大地が完全に固まった状態」を意味する

意富斗之地神(オオトノヂ)様と

大斗乃弁神(オオトノベ)様が現れます。

 

「ヂ」は「男性」を意味し、

「ノベ」は「女性」を意味することから

「男女の体の違い」がしっかり定まった。

という事なのです。

 

続いて

「大地の表面」「男性の顔」が満ちたりた

という意味の於母陀流神(オモダル)さま、

「まぁ、なんと恐れ多い」という意味の

阿夜訶志古泥神(アヤカシコネ)さまが

現れることになります。

 

そして、最後に現れたのが

伊邪那岐神(イザナギ)さま、伊邪那美神(イザナミ)さまの

「完全に性別が別れている神さま」です。

 

クニノトコタチノカミ様から

イザナギ様、イザナミ様までの神々様を

「神世七代」と言います。

 

神世七代では

混沌としてた世界が天と地に別れ初め、

そこから「性別」が生まれました。

 

性別がはっきり別れた神々様が現れることで

のちに結婚し夫婦となり「国生み神話」へと

続いて行く事になるのです。

 

イザナギ様、イザナミ様からは

日本列島や多くの神々様が誕生し、

古事記の物語は続いて行く事になるのです。

 


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