こんにちは
クローバーです^^
今回のパワースポットと神社さん巡りは、商売繫盛や開運などのパワースポットの東京都品川区の袖ヶ崎神社です^^
【目次】
千束八幡神社さんとは
千束八幡神社さんの「千束」は「せんぞく」と読みますが、以前に「洗足池弁財天さま」の記事を書いた時に「洗足」は「せんぞく」と読みます。とお話ししましたが、同じく「せんぞく」と読みます。
現在は「洗足学園」で知られていますし、駅名も「洗足駅」という駅がありますので「洗足」という方がメジャーな気がしなくもないですが、元々はこちらの「千束」だったようです。
「千束」は中世期の「荏原郡千束郷」が元のようで、その地名は「千束分の稲が貢祖から免ぜられていた」ということから地名になったのが定説とされていますが、その「千束」から「洗足」になったのは日蓮さまが現在の洗足池で足を洗ったのが由来ということです。
千束八幡神社さんですが、その創建はかなり古いようで、なんと860(貞観二)年に宇佐神宮から勧請したということです。
この記事を書いているのが2025年ですので、1165年の歴史がある神社さんということです。
935(承平5)年に、平将門公の乱起きた時に、平定のため藤原忠方が鎮守副将軍として関東へ遣わされたそうで、将門公の乱の平定後に千束池(今の洗足池)の周辺に住んだそうで、千束八幡神社さんを氏神として崇敬したそうです。
他にも「八幡太郎」で知られる源義家公も後三年の役で奥州征伐に向かう途中にこちらの千束池で禊をして戦勝祈願をしたそうです。
さらには1180(治承四)年に石橋山の戦いに大敗した源頼朝公が安房から鎌倉に向かう途中に千束池の周辺で宿営していた時に「池に映る月影のような」野馬が現れたそうです。
その野馬が「池月」と名付けられて頼朝公の乗馬になったという伝説が残されていて、「池月」をとらえた時に頼朝公の軍勢の将兵が大いに士気が高まって旗を挙げて盛り上がったというエピソードがあり「旗揚げ八幡」という別称もあるといいます。
千束八幡神社さんの見どころや境内
神社さんの正面には石造りの立派な鳥居がありますが、実はこちらは「一の鳥居」ではなく「二の鳥居」なのです。
では一の鳥居はと言いますと下の写真です^^
先ほどの二の鳥居を背にして一の鳥居があるのですが、朱色の両部鳥居で立派な鳥居です。
ですが、向こうはほとんど池なので、あまりくぐっていかれる参拝者さんがいないのが残念です^^;
木像の重厚感のある御社殿なのですが、造営は1942年と昭和17年なので昭和に入ってからということです。
時期的に大戦で焼失していないのが良かったです。
御社殿の向かって左に「青い毛並みで逞しい」とされる名馬・池月を描いた大きな絵馬が掲げられています。
「絵馬」は元々、神様がお乗りになる「神馬」を奉納する習慣から来ているので、この立派な名馬・池月の絵馬は神々さまも喜ばれているのではないでしょうか^^
境内社さんの神明社さん。
左右に小ぶりではありますが木が立っているのが御榊のようになっているのがいい感じだと思います^^
「新編武蔵風土記稿」にも記されている境内社さんのお稲荷さま。
「新編武蔵風土記稿」は江戸後期の文化文政期(1804~1830)に編成されている書物なので、境内社さんですが少なくても200年くらいの歴史がありますし、千束八幡神社さん自体が1165年の歴史のある神社さんなので、「新編武蔵風土記稿」に記されるよりもはるか昔からこちらに鎮座されていた可能性が高いですね。
歌川広重の『名所江戸百景』に「千束の池袈裟懸松」という絵があるそうなのですが、その「千束の池袈裟懸松」ではないと思いますが、御社殿の付近にとても高さのある松があります。
終わりに
洗足池公園の周辺はウォーキングや散策できる環境ですし、アヒルのボートに乗って池で遊ぶこともできる環境ですので、お一人でもご家族でもよい時間が過ごせると思います^^
お近くに来られた時には散策やレジャーを兼ねて、今回の歴史ある千束八幡神社さんにもご参拝してみてください。
また、なかなか参拝するのが難しいという方は、下の動画から遠隔参拝されてみてはいかがでしょうか^^
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ご覧いただいたすべての人にご利益が届くように祈ってます♪
千束八幡神社さん周辺地図
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