引き寄せの法則と潜在意識を実践し願いを叶える記録

引き寄せの法則や潜在意識で学んだ事を記録して行きます

自己丹誠する

こんにちは

クローバーです^^

 

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今回の引き寄せの法則と潜在意識の法則は

人間学で「自己丹誠する」です。

 

 

【目次】

自己丹誠する

 

今回のお話は致知2018年11月号からの内容です。

 

あなたは「自己丹誠」という言葉を

聞いた事があるでしょうか?

 

私自身、恥ずかしながら、

今回のお話を書くにあたっての題材探しの時に

初めて知ることになりました。

 

「丹誠」というのは辞書的な意味で言えば

「まごころ」や「誠意」という意味になります。

 

使い方で言えば

「丹精込めて作った料理」などになるでしょうか。

 

その「丹誠」に「自己」をつけて

「自己丹誠」という言葉にすることによって

「自分という人間をまごころ込めて仕上げていく」

ということになります。

 

この「自己丹誠」という言葉は

松原泰道師から教えてもらった言葉だと言います。

 

松原泰道師について簡単にお話させていただきますと、

日本の「臨済宗」の高僧で

港区の龍源寺の住職をなさっていました。

 

早稲田大学文学部を卒業したのちに

岐阜県の瑞龍寺で修行し、後に臨済宗妙心寺派教学部長を

務めていらっしゃいました。

 

1972年に出版された「般若心経入門」は

記録的なベストセラーになり、

「第一次仏教書ブーム」を創ったと言われています。

 

松原泰道師は「生涯現役、臨終定年」を

座右の銘とされていました。

 

https://www.instagram.com/p/BzPBJC4FGJC/

【大國魂神社のご神木】

 

松原泰道師「生涯現役、臨終定年」

 

そのことについて次のように書かれています。

 

泰道師は「生涯現役、臨終定年」を座右の銘とされていたが、

銘の通り、亡くなられる三日前まで有志の集いで法話をされ、

戻られると、「のどがかわいた。ビールが飲みたい」と

横になられた。

その三日後に百一歳の天寿を全うされたのである。

 

(引用:致知2018年11月号)

 

「生涯現役、臨終定年」というのは

素晴らしい言葉ですね。

 

恐らく「天職」に巡り合っている人であれば

そのように感じていることも多いかも知れませんし、

まだなかなかそこまで巡り合うことが出来ていない。

という人であれば、そう考えることは難しいかも知れません。

 

私自身の話で恐縮ですが、

今回の「生涯現役、臨終定年」という言葉を受けて

私自身もこのブログを書くことであったり、

神社さんや引き寄せの法則と潜在意識の法則に関しての

ツイッターやインスタグラムなど、

それ自体がなくなる以外は「生涯現役、臨終定年」で

続けていきたいと思うことが出来ました^^

 

このブログや他に運営しているブログ、

またはツイッターやインスタグラムにしても

私自身が学び続けたり、神社さんに参拝し続ける事で

道を開いていくものなので、

私にとっては大変ありがたい言葉でしたし、

そのようなライフワークと出会えていることに

感謝の気持ちでいっぱいです。

 

もちろん、松原泰道師と私では

その学びの深さにおいて「月とすっぱん」

または「雲泥の差」ということは言うまでもないことですが^^;

「学を得た」という意味で私も同じように

「生涯現役、臨終定年」を座右の銘としていきたいと思いました。

 

また、松原泰道師は「生涯現役」というだけではなく

「一生、自己丹誠」ということを目標としていました。

 

その理由は次の短い言葉に凝縮されています。

 

空しく老いないためには自分自身への丹誠が欠かせません

 

ということでした。

 

https://www.instagram.com/p/BzIrnqcl8qB/

【大國魂神社の拝殿】

 

世阿弥の「真実の花」とは

 

また、

同じ文章に能楽の大成者、世阿弥の言葉も紹介されています。

 

それが次の言葉です。

 

時分の花をまことの花と知る心が、

真実の花になお遠ざかる心なり

 

(引用:風姿花伝)

 

「時分の花」というのは「若い時の花」で

「まことの花」というのは「修練、修養によって得た花」

ということになります。

 

ですから、先ほどの世阿弥の一節は

若い頃にあった「花」を「自分の実力」だと過信して

修練、修養を怠れば「真実の花」を掴むことはできない。

ということになるのでしょう。

 

ですから、いつまでも自分を高める向上心や

そのための修練、修養は欠かすことはできない。

という言ことになります。

 

先ほどの「一生、自己丹誠」という言葉に

通じるということなのです。

 

また「修行」という言葉ではなく

「修養」という言葉を使っているのが

今回のお話で興味深い点と言えます。

 

 

修養は「徳を積む」「人格を高める」

 

「修行」というのであれば

「心身の鍛錬」という意味になりますが

「修養」というのは「徳を積む」「人格を磨く」

ということになりますので

言葉は近いですが意味はかなり異なるものになります。

 

「徳を積む」というのは一言では難しいですが

簡単に言えば「世の中のためになる事をする」とか

「人の悪口を言わない」「人の喜ぶことをする」

という事になるでしょうか。

 

私自身を振り返ってみて

「知識を学ぶ」という事は出来ていたとしても

「それを活かして徳を積めているか」と言われると

正直、全くできていないと思います^^;

 

ですから、折に触れて

このような素晴らしい言葉に出会うことによって

自分を振り返り、戒めるきっかけになっているのです。

 

今回のお話の最後は

晩年の松原泰道師が杖言葉にしていたという

佐藤一斎の言葉で締めたいと思います。

 

「たとえ視力や聴力が落ちても、見える限り聞こえる限り、

学を廃するべからず」

一道を極めた人は一様に、自己を丹精した人である。

一斎も八十六年、自己を丹精し続けたのだろう。

私たちも一生かくありたい。

 

(引用:致知2018年11月号)

 

もし、あなたが「一道を極めたい」とか

「成功したい」というような願いがあるのであれば

あなた自身に対して「自己丹精できているか」と

振り返ってみてはいかがでしょうか。

 

もし「出来ていない」と感じたのであれば

今から始めていけば行けば良いのです。

 

引き寄せの法則や潜在意識の法則にも言える事なのですが

「始めるにあたって遅いという事はない」のです。

 

ですから、「今日から」でも「今から」でも

まったく遅くはないので「自己丹誠」に勤めていきましょう^^

 

私の願いの一つに

「このブログを通じて多くの人を成功と幸福に導く」

というモノがあります。

 

あなたが自己丹誠することによって

あなたの望んだ人生を得ていただくことが

私に願いでもあるのです。

 

という感じで今回はこのあたりで失礼します。

 


【恋愛・仕事運のパワースポット】大國魂神社の御神木

 

 

 

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