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高円寺氷川神社・気象神社【東京都杉並区厄除け・天気のパワースポット】

こんにちは

クローバーです^^

 

 

今回のパワースポットと神社さん巡りは、東京都杉並区に鎮座されています「高円寺氷川神社・気象神社」さんです^^

 

 

 

【目次】

高円寺氷川神社さんとは

高円寺氷川神社さんは公式サイトによりますと、源頼朝公が1189(文治5)年に奥州征伐の際に、この地に立ちよったそうなのですが、その時に随兵(ずいひょう)の中に高円寺村に留まって、そのまま農民になる者がいたということで、一説によると村田兵部某ということですが、その村田さんが大宮氷川神社さんから勧請して創建されたという事です。

 

また、他の説では頼朝公がこの地に立ち寄った際に、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも知られる安達藤九郎盛長に命じて建立させたという説もあります。

 

公式サイトにありました、頼朝公による「奥州征伐」は「奥州合戦」という名称で知られていて、源頼朝公による「武士政権が確立した戦い」や「頼朝公が全国を統一した戦い」として知られています。

 

1185(元暦2年/寿永4)年に有名な「壇ノ浦の戦い」で平家を滅ぼし、鎌倉幕府を成立させた(私が小中学生の頃は1192年でしたが)源頼朝公の最後の強敵とも言える「奥州藤原氏」と1189(文治5)年に起こった戦いです。

 

当時の奥州藤原氏は藤原秀衡(ひでひら)の代で、頼朝公を脅かすほどの勢力を持っていて、頼朝公と対立していた源義経公が奥州藤原氏の本拠地である平泉に潜伏していることが発覚し、藤原秀衡が世を去ったのをきっかけに、秀衡の藤原泰衡(やすひら)に義経公の引き渡しを要求します。

 

その圧力に屈する形で義経公を自害に追い込み、義経公の御首を差し出すことで平泉の平和を図ろうとするのですが、鎌倉方はそもそもこの件をきっかけに奥州を支配下に置こうとしているワケですから、自害に追い込んだら追い込んだで「これまで(義経公を)匿っていた罪は重罪」「許可なく(義経公を)討伐した」として頼朝公は関東の大軍を率いて出発します。

 

このとき、頼朝公は藤原泰衡は潰したいために朝廷に「泰衡征討令」の勅命を出すよう圧力をかけていたのですが朝廷(後白河法皇)は勅命を出しませんでした。

 

ですが、頼朝公は「軍中には将の令を聞き、天子の詔を聞かず」という大庭景義という人物の進言を聞き入れて、朝廷からの征討令なしで奥州藤原氏を攻める決断をするのです。

 

頼朝公が自ら軍を率いたこともあり、当時「平安京に次ぐ第二の大都市」と言われていた「平泉」を築き上げた奥州藤原氏は、わずか一ヶ月で滅亡することになり、その「事実」は征討令を出し渋っていた朝廷も認めざるを得なかったのでしょう、事後承認的に

(有給休暇申請じゃないんだから(笑))藤原泰衡征討の命令を下されたことにより、頼朝公は「官軍」となって、その3年後に「武家政権の鎌倉幕府」を創設することになります。

 

というような感じで、時代が大きく変わろうとしている時に高円寺氷川神社さんは創建されたということです^^

 

高円寺氷川神社さんのご祭神とご利益

 

ご祭神:素戔嗚尊(すさのおのみこと)

 

天照大神と月読命(ツクヨミ・ツキヨミノミコト)の弟神様として知られる神さまで、古事記にも多く登場している神さまです。

 

氷川神社さんではスサノオ様と共に妻神様のクシイナダヒメ様がご夫婦神様としてお祀りされていることも多いのですが、高円寺氷川神社さんはスサノオ様一柱をご祭神とされているようです。

 

ご利益で言いますと、スサノオ様は一般的には「厄除け」のご利益で知られている神さまです^^

 

 

 

気象神社さんとは

 

気象神社さんは1944(昭和19)年4月に現在の高円寺北4丁目にあった大日本帝国陸軍の陸軍気象部の構内に造営されたそうです。

 

もちろん、当時の陸軍気象部さんも「神頼み」だけをしていたワケではなく、戦略や作戦のために科学的根拠で天気を予報していたそうですが、当時の気象観測員さんたちの「心の拠り所」になっていたそうです。

 

また、戦後の「神道指令」で撤去される予定だったそうなのですが、連合軍宗教調査局の調査漏れで残存したそうです。

 

「神道指令」とは簡単に言えば、連合国最高司令部(GHQ)が日本政府に対して発した覚書で、「国家神道(明治新政府が、神社神道と皇室神道を結びつけてつくり出した神道)の廃止」「政治と宗教の徹底的分離」などがあります。

 

気象神社さんのご祭神や御利益

 

ご祭神:八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)

 

「オモイカネノミコト」という御名で広く知られている神さまで、特に「天岩戸神話」で天照大神を岩戸から出すシナリオを作ったり、「国譲り神話」で派遣する神さまの選定をしたり、「天孫降臨」の際にサポートをしたりする「知恵の神様」です。

 

また、高円寺氷川神社さんの公式サイトによりますと「その名の通り『晴』『曇』『雨』『雪』『雷』『風』『霜』『霧』という 八つの気象条件を司ることができるとされています」ということです。

 

ご利益で言いますと、そのままですが「晴天祈願」や気象予報士試験の受験生が「合格祈願」に参拝に来るそうです。

 

 

 

気象神社さんの境内

 

社殿の老朽化に伴って、遷宮55周年記念として2003年(平成15年)6月に再建されたということです。

 

 

気象神社さんの境内には「晴天祈願」のために参拝された方々が吊るしていったのでしょうか、「照々(てるてる)みくじ」がたくさん掛かっています^^

 

どの色が出るか分からないようですが、たくさんの色のてるてるみくじさんが掛かっていて、とても可愛らしい雰囲気です^^

 

高円寺氷川神社さんの境内

 

気象神社さんの先に進んで行きますと、三社の稲荷神社さんの祠があります。

 

 

三社の稲荷神社さんの横に「力石」がたくさん並んでいます^^

 

この力石を使って、多くの若者が力比べをしていたのでしょうか。

 

 

 

終わりに

一時期、「江戸七氷川」の影響で、個人的にたくさんの「氷川神社さん」に参拝させて頂いていた時期がありますので、このブログにもカテゴリで「氷川神社さん」と作ってあります。

 

ですから「氷川神社さんを巡っていこう」という目的があった時に、参拝させて頂いた神社さんだと思います。

 

御社殿は1971(昭和46)年に造営された比較的新しい神明造で、とても迫力がありましたし、「気象神社さん」は先ほどの「てるてるみくじ」の他にも「下駄絵馬」などもあり、すごくユニークな感じだと思います^^

 

「下駄絵馬」に関しては「明日天気になーれ」と言いながら下駄を飛ばす、いわゆる「下駄占い・天気占い」から来ているそうですが、私も小さい頃に(下駄ではないですが(笑))近所の子供たちや、母方の田舎の山形に帰省した時などは、年が近い従妹が何人かいたので、よく「靴飛ばし」や「靴占い」をやったような気がします^^

 

なんと言いますか、そんなノスタルジックな気分になるのも、高円寺氷川神社さんの良さなのかも知れません。

 

ご祭神がスサノオ様お一柱の氷川神社さんは比較的凛とした雰囲気の神社さんが多い印象なのですが、先ほどのノスタルジックな気分の影響なのでしょうか、または、気象神社さんにカップルで参拝されている方々が多かった影響なのでしょうか、比較的柔らかい雰囲気の神社さんのような気がします^^

 

お近くにお越しの際は、ぜひ参拝されてみてはいかがでしょうか♪

 

という感じで今回はこの辺りで失礼します。

 

高円寺氷川神社さん・気象神社さんの動画


www.youtube.com

 

ご覧いただいたすべての人に幸運が届きますように☆彡

 

高円寺氷川神社さん・気象神社さんのアクセスや最寄り駅

所在地:〒166-0003 東京都杉並区高円寺南4丁目44−19

電話: 03-3314-4147

公式サイト:

koenji-hikawa.com

交通:

◼︎JR総武線 ・JR中央線 高円寺駅から徒歩約3分

◼︎東京メトロ丸ノ内線 新高円寺駅から徒歩約19分

◼︎東京メトロ丸ノ内線 東高円寺駅から徒歩約23分

 

高円寺氷川神社さん・気象神社さんの周辺地図

 

 

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