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穴八幡宮【新宿区西早稲田の金運のパワースポット】

こんにちは

クローバーです^^

 

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今回、参拝させていただいた神社さんは、新宿区西早稲田に鎮座する「穴八幡宮」です。

 

 

 

【目次】

穴八幡宮とは

穴八幡宮の創建は古く、1062(康平5)年に源義家公(八幡太郎)が「前九年・後三年の役」で活躍し、凱旋の時にヤマトタケルノミコトに倣い、この地に兜と太刀を収め八幡様を勧請し「東北鎮護の社」としたことが始まりです。

 

「前九年・後三年の役」というのは、平安時代後期の戦いで「陸奥国(現在の東北地方)」で起こったものです。

 

元々は「奥州十二年合戦」と言われていまして、鎌倉時代の著作「古今著聞集」「古事談」などでは「奥州十二年合戦」の名称で記されていますので、義家公が穴八幡宮を「東北鎮護の社」としたのは、この合戦が大きく影響しているのでしょう。

 

ですが、日本歴史文学の中では最長の作品として知られる「太平記」などでは「前九年の役」で記されていて、それが一般化したものと言われています。

 

「後三年の役」というのは、その発端を一言で言えば、前九年の役で安倍氏が滅びると清原氏が強大な力を持つ事になるのですが、その清原氏の「家族喧嘩=遺産相続争い」という事になるのです。

 

「後三年の役」は人間関係がややこしいですし、元々の「穴八幡宮」についての話とだいぶ逸れて行きますので、一旦、この辺りで終わりにしておきます^^;

 

ちなみにですが、先ほど源義家公が「前九年・後三年の役で活躍し」と書きましたが、確かにどちらでも戦では活躍しているのですが「後三年の役」で義家公は朝廷から何も恩賞はもらえず、逆に多大な負債を抱えてしまい当時の役職(受領)を罷免されることになるのです。

 

また1062年のというのは、先ほども少し触れましたが「平安時代後期」になり、栄華を極めたと事で知られる藤原道長が没したのが1027年12月で、その子の藤原頼道が平等院鳳凰堂を建立したのが1053年ですので、時代が大きく変わりつつある頃といってもいいでしょう。

 

また「穴八幡宮」というご社名についてなのですが、1641(寛永5)年に宮の番をする「宮守」の庵(小さな家)を造るために山裾を切り開いたところ、横穴(古墳時代の墓の一種でしょうか??)が出現し中から金銅の御神像が現れたため「穴八幡宮」と称されるようになったといわれています。

 

この頃、ご神木の松が瑞光(おめでたいことの兆しの光)を放っているという話が、なんと第三代将軍の徳川家光公の耳に入ることとなり、穴八幡宮は「幕府の祈願所」「江戸城北の総鎮守」として崇敬されることとなり、「江戸屈指の大社」となっていくのです。

 

穴八幡宮のご祭神や御利益【金運・開運・出世】一陽来復

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御祭神:應神天皇・仲哀天皇・神功皇后

 

應神天皇(おうじんてんのう)は一般的には「応神天皇」と記され、「ホンダワケノミコト」としても知られる八幡様。

 

仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)は応神天皇の父で、あの日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の第2子で第14代天皇。

 

神功皇后(じんぐうこうごう)は応神天皇の母で仲哀天皇のお后様。

 

穴八幡宮金運の御利益・一陽来復

江戸時代から配られているお守りで冬至から節分までの約2か月間のみ配布されていて「最強の金運アップのお守り」として知られています^^

 

この「一陽来復」の言葉の意味は「よくないことが続いた後には良いことが巡ってくる」ということです。

 

穴八幡宮のほかの御利益

「弓の達人」「武神」として名高い応神天皇がご祭神ですので、「厄除け」や「出世開運」の御利益や神功皇后をお祀りしていることから「安産祈願」などの御利益も期待できるでしょう^^

 

 

 

金運【値(根)が上がるご神木】

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こちらの御神木は拝殿の向かって左に立っている御神木ですが、根っこが地上に上がっていることから「根っこが上がる=値が上がる」という事で、金運のパワースポットとして人気があります^^

 

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このようにご社殿を正面に左右、同じような立派な御神木が立っています。

 

穴八幡宮の流鏑馬(やぶさめ)

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1728(享保13)年に第8代将軍の徳川吉宗公が、吉宗公の嫡子でのちの第9代将軍徳川家重の疱瘡平癒祈願のため流鏑馬を奉納したとされています。

 

また、その10年後に無事に疱瘡祈願成就した時に報賽(お礼参り)として再び流鏑馬が行われ、その後も「世嗣が誕生した時」や「厄除祈願」などの時に流鏑馬が奉納されることになりました。

 

その様子を絵巻にしたものが穴八幡宮に伝っていて、それが「流鏑馬絵巻」という絵馬です。

描かれている流鏑馬は。先ほども少し触れました第9代将軍・徳川家重公の嫡子・竹千代(後の第10代将軍・徳川家治公)誕生祝の流鏑馬が描かれているという事です。

 

そのような将軍家のエピソードによって江戸庶民からも人気が集まり、特に蟲封じがあるとして信仰も厚くなりました。

 

そして、蟲封じは有名になり、のちの大正天皇が皇太子の時に蟲封じ祈祷が行われているのです(1879年)。

 

神武天皇遥拝所

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こちらの神武天皇遥拝所は、ここから遠く奈良県の橿原神宮(かしはらじんぐう)を遥拝する事が出来ます。

 

個人的にですが、こちらの鳥居をくぐった瞬間に柔らかく涼やかな空気感があり、とても心地の良い雰囲気でした^^

 

神武天皇はアマテラス様の御子孫で日本を建国した初代天皇として有名で「開運」「厄除」「出世」「勝運」などのご利益も知られています。

 

随神門・光寮門

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こちらの随神門は「光寮門」という名称です。

 

朱色が大変美しく煌びやかで、「金運のパワースポット」として知られる穴八幡宮にはとても合っている建造物だと思います^^

 

1998年に再建された比較的新しい建造物です。

 

 布袋尊の手水舎と水鉢

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こちらの手水舎は布袋尊の袋の口から手水が流れてくるという、なかなか趣のある造りとなっています^^

 

布袋尊と言えば、言わずものがな「七福神」の一尊としても有名で、その袋の中には「宝物」がたくさん入っていて、信仰心の厚い人々に配られたと言われていますので、その「宝物がたくさん入った袋の中身」をお与え頂いているようでいいですね^^

 

その手水舎の隣にも布袋尊の水鉢が安置されています。

 

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こちらの布袋尊の水鉢は1649(慶安2)年に造られた、徳川家光公より奉納された区内最古の水鉢のレプリカという事です。

 

家光公から奉納された布袋尊の水鉢は新宿区指定の有形文化財に指定されています。

 

二の鳥居周辺のご神楼

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穴八幡宮には「心地が良い」と感じる場所がたくさんありますが、こちらの二の鳥居周辺の階段やご神楼の辺りの空気感がとても心地が良く、美しいと感じます^^

 

 

 

終わりに 

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「金運のパワースポット」として有名な穴八幡宮ですが、個人的には何度か参拝させていただいたことがあります。

 

その都度、二の鳥居周辺の空気感や拝殿周辺の御神木の迫力、神武天皇遥拝所の心地良さなど本当に素晴らしい神社さんだと感じているので、今回、そのご紹介をする事が出来て本当に嬉しいです^^

 

金色や朱色などの煌びやかで美しい色使いの建造物が多く、見て楽しむ事が出来るのも穴八幡宮の魅力の一つと言えるでしょう^^

 

お近くにお越しの際は、ぜひ参拝されてみてはいかがでしょうか^^

 

という感じで今回はこのへんで失礼します。

 

穴八幡宮の動画


穴八幡宮【新宿区西早稲田・金運のパワースポット】

 

ご覧いただいたすべての人に幸運が届きますように♪

 

穴八幡宮のアクセスや最寄り駅

所在地:〒162-0051 東京都新宿区西早稲田2-1-11

最寄り駅:

●地下鉄東西線「早稲田」駅3Bより徒歩約6分

●都電荒川線「早稲田」駅より徒歩約12分

TEL:03-3203-7212

 

穴八幡宮周辺地図

 

 

 

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