こんにちは
クローバーです^^
今回、参拝させていただいた神社さんは新宿区歌舞伎町に鎮座する「稲荷鬼王神社」さんです^^
【目次】
- 稲荷鬼王神社とは
- 稲荷鬼王神社のご祭神とご利益
- 稲荷鬼王神社と平将門公
- 稲荷鬼王神社の天水琴
- 稲荷鬼王神社の境内社:三島神社(恵比壽神社)
- 稲荷鬼王神社の御神木
- 稲荷鬼王神社の富士塚
- 稲荷鬼王神社の鬼の水鉢(新宿区指定有形文化財)
- 終わりに
- 稲荷鬼王神社の動画
- 稲荷鬼王神社のアクセスや最寄り駅
- 稲荷鬼王神社周辺地図
稲荷鬼王神社とは
稲荷鬼王神社さんの創建は1831(天保2)年に大久保村の氏神の「稲荷神社」と熊野から勧請されていた「鬼王権現」を合祀した事により「稲荷鬼王神社」という社名になりました。
「稲荷鬼王神社」という名称は若干、不思議なご社名と言いますか、「稲荷社」なのか「他の神社」なのかと考えてしまうようなご社名の理由はそのような理由からです。
さらに深堀していきますと、「稲荷神社」さんは1653(承応2)年に、この地の氏神様として正一位福嵯稲荷大明神を勧請したという事です。
「承応年間」はわずか3年の元号で11歳の若さというか幼い歳に第4代徳川将軍となった家綱公の時代の元号です。
第4代将軍の家綱公は幼名を「竹千代」といい、徳川家初代将軍の家康公、2代目将軍の秀忠公、そして父の3代将軍の家光公と同じ幼名で、生まれた時から家光公に「世継ぎ」として決められていました。
11歳という若さで将軍となったことから、討幕運動的な「慶安の変」があったりもしますが、家光時代の名臣たちの補佐により安定政権となり、更には武力に頼った「武断政治」から「文治政治」へと切り替わる時代ですので「新しい時代への幕開け」とも言える時代背景でもあるのです。
「稲荷鬼王神社」の前身ともいうべき「稲荷神社」さんは、そのような時代の移り変わりを見続けてきたのでしょう。
また、もう一方の「鬼王神社」なのですが、この地のお百姓さんの田中清右衛門さんが
紀州熊野(今の三重県南部から和歌山県南部)で病になってしまったそうです。
清右衛門さんは病気で苦しんでいた夜に霊夢を見ました。
その霊夢とは近くの鬼王権現に「豆腐」を供えて病気平癒を祈願する。というモノでしたので、早速その通りにしたところ病気が治ったことから鬼王権現に感謝し、邸内にお祀りしたという事です。
その田中邸にお祀りされていた鬼王権現ですが、その後、1826年(文政9)年に清右衛門さんの子孫・源之助の時に火事になって家が焼失してしまい、鬼王権現をお祀りする場所がなくなってしまったので1831(天保2)年に、この地の鎮守様としてお祀りされていた稲荷神社さんに合祀され「稲荷鬼王神社」となったのです。
稲荷鬼王神社のご祭神とご利益
ご祭神:倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)、鬼王権現
ウカノミタマノミコトは「五穀豊穣」のご利益で知られる「稲荷」の神さまです。
「稲荷」というのは「稲が成る」という言葉が「稲荷」になったという説や「稲を荷う」という事から「稲荷」という説もあり、いずれも「豊作」などのイメージから「五穀豊穣」のご利益とされています。
また、現在では稲作が主たる産業ではないので「五穀豊穣」ではなく「商売繁盛」のご利益とされているのです。
「鬼王権現」とは、「鬼の王」をお祀りしているのではなく月読命(ツキヨミノミコトまたはツクヨミノミコト)、大物主命(オオモノヌシノミコト)、天乃手力命(アメノタヂカラオノミコト)の3柱のことです。
ツクヨミノミコトはアマテラスオオミカミ、タケハヤスサノオノミコト、と共にイザナギノミコトから誕生した「三貴子」の一柱で、アマテラスオオミカミの弟神様でスサノオノミコトの「兄神さま」とされています。
三貴子(みはしらのうずのみこ・さんきし)誕生のお話はコチラ
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オオモノヌシノミコトは古事記の「国造り神話」に登場しでオオクニヌシノミコトと共に国造りを完成させた神さまで、オオクニヌシノミコトの「和魂」とされていてます。
オオモノヌシノミコトの「国造り神話」に関してはコチラのお話
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アメノタヂカラオノミコトはアマテラス様の「天岩戸神話」の時に活躍した力持ちの神さまで、現在では「力持ちの神さま」という事から「スポーツの神さま」として人気のある神様です^^
古事記の「天岩戸神話」はコチラの記事です^^
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他にもご利益は、最初の項目でもありました「病気平癒」や、写真の子狛犬さんが「宝珠」を加えて離さない姿から「運を離さない」という御利益もあるそうです^^
稲荷鬼王神社と平将門公
紀州熊野の鬼王権現は明治時代の「神仏分離」により、現存していないという事から、「鬼王」と名が付く神社さんは全国でここ稲荷鬼王神社だけという事になっています。
先ほども少しお話しましたが「鬼王」と名が付いていても「鬼」や「鬼の王」をお祀りしているワケではありません。
この「鬼王」という名称は、実は民衆に求められ立ち上がった英雄・平将門公の幼名(幼名・鬼王丸)から由来したモノという説もあります。
稲荷鬼王神社の天水琴
一般的には「水琴窟」と言われることが多いですが、こちらでは「天水琴」と言います。
その由縁としては「ご社殿の屋根からの雨水」を利用しているという事で「天水琴」というのでしょう。
個人的に「水琴鈴」を持っているほど水琴窟の音色は大好きです^^
お越しになられた際には、ぜひその音色に耳を傾けてみてはいかがでしょうか。
稲荷鬼王神社の境内社:三島神社(恵比壽神社)
ご祭神:事代主命(コトシロヌシノミコト・恵比寿様)
コトシロヌシノミコトは先ほどの「国造り神話」にも登場する神さまで、オオクニヌシノミコトのお子神様です。
恵比須様は何柱か習合される神さまがいらっしゃいますが、コトシロヌシノミコトはその最たる神様と言えます。
また「新宿山ノ手七福神」の一尊としても知られています。
ちなみに他の「山ノ手七福神」とは
・善国寺(毘沙門天)
・経王寺(大黒天)
・抜弁天厳島神社(弁財天)
・永福寺(福禄寿)
・法善寺(寿老人)
・鬼王稲荷神社(恵比寿)
・太宗寺(布袋尊)
です。
どこかで見たことがあると思ったのですが、かつて「出世稲荷」に参拝しようと思い、参拝させていただいた寺院がありました^^
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三島神社(恵比壽神社)には美しい手水舎と水琴窟があり、手水を掛けると水琴窟から美しい音色が聞く事が出来ます^^
また、上の写真は「かえる石」と呼ばれていて、事代主命(恵比寿様)にお参りしてから、「かえる石」に手水を掛けてさすりながら心の中で「良き運にかえる(開運祈願)」「金かえる(金運上昇)」「若返る(健康祈願)」などの言葉を3回唱えて、最後にもう一度、参拝すると願いが叶うと言われています^^
お地蔵様でしょうか?
三島神社の境内に小さな置物が置かれています^^
稲荷鬼王神社の御神木
稲荷鬼王神社の境内には立派な御神木が何本も立っています^^
そのうちの一本に「寿」という縁起のよさそうなお札のようなものが付いていました。
稲荷鬼王神社の富士塚
「西久保の厄除け富士」と言われる富士塚で、富士山をはじめ、全国から銘石を取り寄せて境内に造られた富士塚があります。
こちらの富士塚は空襲の影響で地盤石が緩んだ影響で1合目~4合目と5合目~頂上で2つに分かれています。
稲荷鬼王神社の鬼の水鉢(新宿区指定有形文化財)
撮ってきた写真がどこかへ行ってしまったので、まさかの写真がないのですが^^;稲荷鬼王神社には「鬼の水鉢」があります。
文政年間(1818~1829年)の頃に制作された水鉢で、うずくまった鬼の頭の上に水鉢が乗っています。
この水鉢には言い伝えがあり、元々は旗本・加賀美某の邸内庭園にあったものなのだそうですが、毎晩、井戸で水浴びをするような音が聞こえるため、加賀美某(か、または家の者)がある晩、刀で斬りつけたそうです。それから加賀美某の家の者に病気や災いが頻繁に起こるようになったため、天保4(1833)年に稲荷鬼王神社に寄進されたという事です。
また、水鉢の下の鬼の肩の辺りにはその時の刀キズが残っているという事です。
終わりに
個人的な感想ですが、「さわやかで心地の良い神社さん」とか「凛としてて涼しげな雰囲気の神社さん」という感じではなく、どちらかと言いますとたまたまかも知れませんが「じめっとしたような雰囲気」の神社さんでした。
「じめっとする」と言いますと、あまり良い雰囲気ではないような印象がありますが、そういう事ではなく、じめっとするのですが何となくいつまでも居たくなるような穏やかな雰囲気でもあるのです。
参拝させていただいたのは10月の後半でしたので湿気の多いという時期ではなかったのですが、不思議な空間だと思いましたが、繰り返しますが、良い雰囲気の神社さんで神職さんも気さくな方のようで、たまたま三島神社で出くわした時に「水琴窟」や「かえる石」についてご教示くださいました^^
新宿歌舞伎町というアジア屈指の繁華街に鎮座している不思議な魅力のある神社さんで、水琴窟の音色も美しく、どこか穏やかで心地の良い雰囲気の神社さんですので、お近くにお越しの際は、ぜひ参拝されてみてはいかがでしょうか^^
という感じで今回はこのへんで失礼します。
稲荷鬼王神社の動画
ご覧いただいたすべての人に幸運が届きますように♪
稲荷鬼王神社のアクセスや最寄り駅
・都営大江戸線「東新宿」駅「A1」より徒歩約4分
・地下鉄副都心線「東新宿」駅「B1」より徒歩約5分
・地下鉄丸の内/副都心線「新宿三丁目」駅「E1」より徒歩約5分
・都営新宿線「新宿三丁目」駅「E1」より徒歩約8分
稲荷鬼王神社周辺地図
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