こんにちは
クローバーです^^
今回の引き寄せの法則と潜在意識の法則は
人間学で「人はやればできる」です。
【目次】
ミキハウス・木村皓一社長の原点「人間やればできる」
今回のお話は致知2018年11月号から
ミキハウスの社長の木村皓一さんのお話からの内容です。
ミキハウスと言えば、
高級子供服ブランドとして有名なメーカーですが
昭和46年に木村さんが子供服の卸売り会社の三起商行を
創業したことが、その起源になります。
ミキハウスは現在では、
引退する前まで、オリンピックで3度も金メダルを獲得している
野村忠宏さんなどが在籍していたほど、
スポーツのスポンサーなどが出来たり、
テレビコマーシャルを放送したりできる大きな企業です。
さらに言えば、日本国内にとどまらず
海外でもその名を轟かせている企業ですし、
年商で271億円を計上しています。
そのミキハウスグループの起源の三起商行を
木村さんは、なんと26歳の時に創業しているのです。
そのように成功街道まっしぐらのイメージですが、
初めから、順風満帆で成功街道をまっしぐらだったのでしょうか?
その原点とは何か?という事や
私たちが学びとして得られることはないか。
という事について考え、学んでいきたいと思います^^
【日枝神社と空】
小児麻痺を乗り越える
先ほど、少し触れましたが、
世界でも評価される大企業のミキハウスの社長となれば
元々、豊かな家庭に育ち、いろんな面で恵まれていた。
というイメージを持つのではないでしょうか。
ですが、木村社長は自信の原点を
「3歳の時に右脚に患った小児麻痺」だといいます。
木村さんは3歳の時に患った小児麻痺の影響で
「周囲から特別扱いを受けて育てられた」と言います。
脚の治療のために、元々住んでいた滋賀県から
良い病院がある大阪に移り住んだのですが、
ツラいリハビリを嫌がり、不自由な脚を理由に
面倒なことから逃げてばかりいたといいます。
むかし手塚治虫先生の「ブラックジャック」というマンガが好きで
そのブラックジャックの中の話で「アリの足」という話があり、
小児麻痺(ポリオ)に苦しむ少年が旅をする。という話です。
その話のイメージが強く、
「面倒なことから逃げ回っていた」とありましたが
決して「逃げる」ていたワケではないように思うのですが
木村さん自身がそのように話されています。
いずれにしても、木村さんの言葉を借りれば
「面倒なことから逃げていた」事から
自分を変えるきっかけは、どこにあったのでしょうか?
それは、小学生の高学年になった時でした。
小学生の高学年にもなると
「異性」を意識し始める年代になりますね。
木村少年もそれは同じでした。
木村少年も心を寄せた女の子がいたのですが、
その女の子は木村さんをどう見ていたのかと言いますと
「同情の対象」としか見ていなかったのです。
恐らく、何かにつけて
木村さんの身の回りのことを手助けしたり、
優しく接してくれた女の子だったのでしょう。
そのような優しい女の子であれば
木村さんではなくとも好きになるモノです。
自分が好きになった女の子の「優しさ」が
「自分に同情しているだけ」と知った時には
大きなショックを受けたのでしょう。
そこから「このままではいけない」と痛感して、
「少しでも足を良くしたい」と考え、
ツラいリハビリにも前向きに取り組んでいくようになるのです。
それまでは、ほとんど力を持たなかった右脚で
何とか立って体を支えられるまでになったのです。
私を含めて、普通であれば
そこで良しとする人が多いと思うのですが、
木村少年は違いました。
中学生になると、さらに足を鍛えるために
なんと新聞配達のアルバイトに挑戦したいと
考えるようになるのです。
とは言え、
足を引きずりながら歩く木村さんを雇う販売所はなく、
相手にもされなかったのです。
そこで、お父さんに相談したところ、
「絶対に周りに迷惑を掛けない・途中で辞めない」
という事を制約させられはしたものの、
自宅から一番近い販売所に少ない件数から始められるように
話をつけてきてくれたのです。
新聞は朝の7時には配り終わらなくてはならないので
なんと朝4時には販売所に入り、広告を折り込みをしてから
配達に行きます。
そして、そのあとに学校で授業を受け、
更にそのあとに夕刊の配達をするのです。
雨の日も雪の日も休まずに「一人で」販売所に行き、
「絶対に人の手は借りない」と心に決めていたのです。
それまで、ある事さえもほとんどなかった木村少年にとって
とても過酷な作業だったといいます。
特に小児麻痺などを患っていない私でも
これだけの事が出来るかと言われれば
かなり難しかったでしょう。
というより、今の時代では法律が云々というより
継続的に過酷な作業を続けることは
できなかったと思います^^;
ですが、
「脚を治す」という事を第一に考えていた木村少年は
授業中に居眠りをして怒られても
どれだけヘトヘトになっても頑張り続けたのです。
その結果として、
それまで体を支えるのがやっとだった右脚にも
みるみる力が付いてきて、
配達件数も20件から30件、40件と増やしてもらい、
中学3年生の頃には普通に歩く事が出来るようになったのです。
その時の事から学んだことを
次のようにお話されています。
人間、やればできる
不自由にな右脚を克服して掴んだ自信は、
その後の人生を支えるかけがえのない力となったのです。
(引用:致知2018年11月号)
「人間、やればできる」
とても心強い言葉だと感じます。
よく言われることですが、
人生の終焉を迎えた時に後悔することは
「失敗したこと」ではなく「挑戦しなかったこと」
だといいます。
そう考えると
自分の願いに向けて全力を尽くすことは
とても大事だと痛感します。
その時に自分自身を後押ししてくれるのは
「人間やればできる」という強い信念かも知れません。
【日枝神社の山王男坂】
思った通りになるのが人生
そのようにして強い信念を得た木村少年は
大学時代にアルバイトでお世話になった野村証券に就職します。
そこで「優良企業」をつぶさに観察するうちに
あることに気が付きます。
それは
「長く繁栄している企業には安易に安売りに走らずに
良いものをその価値にあった価格で売ろうとしている」
というところが多い。という事です。
ご実家が小さなアパレル会社を経営していたのですが
木村さんが「優良企業」を分析して得た結果とは対照的で
アメリカで流行っていた廉価なブラウスを大量生産していました。
先ほど、お話したように木村さんが
優良企業から得た事とは異なった経営方針だったのです。
ですから、実家の会社を弟さんに譲り、
自分のやり方で会社を興すことにしたのです。
明確な理想や目標を持つ
その会社経営において得たことを
次のようにお話されています。
こういう会社にしたいという明確な理想を抱いて
努力を重ねていけば、必ずその通りの会社になるのです。
私自身の話で恐縮ですが、
私自身は会社経営の経験はありません。
ただひたすらに
引き寄せの法則と潜在意識の法則を学び続け、
実践しつづけてきましたので
引き寄せの法則や潜在意識の法則の見方からの
話をさせて頂きますと、先ほどの一節は
願いが叶うために重要なステップです。
引き寄せの法則や潜在意識の法則でも
「明確な目標を持つ」という事は必ず言われます。
なぜなら、「明確な目標」「明確な理想」というのは
「より具体的なイメージ」を持つ事が出来るからです。
より具体的に自分のなりたい姿を
より具体的にイメージし続けることで
より具体的にやるべきことが明確になるのです。
そして、「やるべきこと」のほとんどは
あなたにとって「楽しいこと」や「情熱が持てる事」です。
あなたは「楽しいと感じる事」「情熱を持てること」などを
実践しているうちに願いが叶うのです。
というのが、引き寄せの法則や潜在意識の法則の考え方です。
話が逸れましたが、
ミキハウスの社長、木村皓一さんからのメッセージが
とても素晴らしいモノなので、
今回のお話の最後はそちらで締めたいと思います^^
ぜひともビジョンを持って歩んでほしいということです。
自分は将来こうしたいという夢や目標がなければ、
自分が歩んで行くべき道も定まりません。
そして、どうせビジョンを描くならば、
できるだけ高い理想を掲げていただきたい。
それが私の願いです。
あなたがあなた自身を振り返った時に
「明確な目標」「叶えたい夢」「高い理想」などを
持つ事が出来ているでしょうか?
ミキハウスという世界で活躍する企業を
一代で築き上げた木村社長が
「思った通りになるのが人生」と教えてくれているので
それを信じてみてはいかがでしょうか^^
私の願いの一つに
「このブログを通じて多くの人を成功と幸福に導く」
というモノがあります。
今回のお話から何かを得て頂いて
あなたの望んだ通りの人生を得ていただくことが
私の願いでもあるのです。
という感じで今回はこのあたりで失礼します。
【仕事運・出世運のパワースポット】日枝神社の藤棚~Hie Jinja Shrine - Tokyo~
【関連コンテンツ】