こんにちは
クローバーです^^
今回のパワースポットと神社さん巡りは、東京都練馬区に鎮座されています「豊玉氷川神社」さんです^^
【目次】
- 豊玉氷川神社さんとは
- 豊玉氷川神社さんのご祭神や御利益
- 豊玉氷川神社さんの御神輿
- 豊玉氷川神社さんの力石
- 豊玉氷川神社さんの境内社さん
- 豊玉氷川神社さんの御神木・カヤの木
- 初の国産ビール麦品種発祥の地
- 終わりに
- 豊玉氷川神社さんの動画
- 豊玉氷川神社さんのアクセスや最寄り駅
- 豊玉氷川神社さんの周辺地図
豊玉氷川神社さんとは
豊玉氷川神社さんは東京都練馬区豊玉南に鎮座されている神社さんで、詳細な創建年は不明ではあるのですが、長禄年間(1457~1460)にはすでに創建されていたのではないかと言われています。
その背景としては、豊玉氷川神社さんは当初は「北野神社さん」が主祭神としてお祀りしていて、次いで須賀神社さんをお祀りし、その後、現在の氷川神社さんに遷移されたということです。
そして、隣接する「正覚院」は天満宮の別当であり、その正覚院は長禄年間に創建したということなので、すでにその頃には「天満宮」は創建されていたということです。
また、先ほど最初は北野神社さんをお祀りして次に須賀神社さん、そして氷川神社さんとなるワケなのですが氷川神社さんに遷移した時期もよく分かっていないということです。
豊玉氷川神社さんの創建を「長禄年間」と仮定したとして、長禄年間は1457~1460年で「長禄の変」「長禄・寛正の飢饉(1459・長禄3)」などで知られています。
この「長禄・寛正の飢饉」に関しては、私が小さい頃(たぶん小学校に上がる前だと思うのですが・・・。小学低学年でしたか・・・。)親戚に漫画の伝記のような本をたくさんもらい、その中に「一休さん」があり、その本の中で民衆が飢えで苦しんでいるにも関わらず趣味に明け暮れる(東山文化が築かれていった側面もありますが)足利義政公を一喝する場面があったのを何となく覚えています。
そして歴史が好きな人であれば、そのくらいの年代に何があるかと言いますと1467年には「応仁の乱」があり、「戦国時代が始まろうとしている」という時代になっていて時代が大きく変わっていくというような激動の時代に豊玉氷川神社さんは創建されたという事になります。
当時の豊玉氷川神社さんの周りがどのような状況だったかまでは分かりませんが、大飢饉や戦乱の世の中を懸命に生き抜こうとする多くの人々を見守り続けてきたのではないでしょうか。
また創建に関して別の説では、神社さんの後方にあった御神木の杉の木が枯損木となったため、昭和12(1937)年に伐採した杉の木の樹齢がおよそ700年で、昭和20(1945)年に伐採した神社さんの前にあった同じく御神木の杉の木の樹齢は600年以上となっていたため、室町時代よりもっと前の「鎌倉時代」には創建されていたのではないか。ともされています。
豊玉氷川神社さんのご祭神や御利益
ご祭神:須佐之男命(すさのおのみこと)
東京神社庁のページによりますと、現在のご祭神はスサノオ様の一柱ということですので、「厄除け」が一般的に言われているご利益ではないでしょうか。
もちろん、確実に「こちらのご利益です」と決めつけるワケではないのですが、同じ氷川神社さんでも「クシナダヒメ様」をご一緒にご夫婦神様としてお祀りされている場合には「縁結び」のご利益も言われることが多いですね^^
豊玉氷川神社さんの場合は、最初は「北野神社さん」をお祀りしてたという事ですので、北野神社さんのご祭神は「菅原道真公」ですので「学業成就」「合格祈願」なども入れてもいいのかな。と思っています^^
豊玉氷川神社さんの御神輿
「豊玉氷川神社さんの御神輿」ではなく、正確には「須賀神社さんに伝わる御神輿」ということです。
正確な制作年は不明という事なのですが、飾り収納箱の蓋の裏側に「文化十年(一八一三)癸酉六月吉日 中荒井村惣村中」と記されてるということです。
1813年といえば、イメージが付きやすい話で言いますと、「安政の大獄」「桜田門外の変」で知られる「大老・井伊直弼」が生まれたのが1815年で、江戸幕府の陸軍の最後の総裁で「江戸城無血開城」を主張し実現させたことで知られる「勝海舟」が生まれたのが1823年ですので、時代背景としてこれから「幕末」に向かっていくという感じでしょうか。
ちなみに「幕末」は諸説あると思うのですが、「黒船来航(1853年)」~「戊辰戦争(1868年)」と言われていて、戊辰戦争中の1868年に元号が「慶応」から「明治」に変わっています。
豊玉氷川神社さんの力石
平成4年に練馬区の有形民俗文化財に登録されていて、「三十五〆(貫)」、「五十五〆(貫)」など、石の重さが刻まれています。
35貫は現在の重さで言うと約131kgですし、55貫に至っては約206kgですので、そのような重さの石を使って、昔の人たちはお祭りの日などに力比べをして楽しんだのでしょう。
豊玉氷川神社さんの境内社さん
上の写真が「北野神社さん」です^^
繰り返しになりますが、現在の「豊玉氷川神社さん」になる前に、この地で一番最初にお祀りされていた神社さんということです。
ということは「地主神様」という事になるのでしょうか、必ず参拝させていただきたい神社さんですね^^
上の写真は、先ほどの「北野神社さん」の次にお祀りされていたとされる「須賀神社さん」です^^
北野神社さんから須賀神社さんに遷移した経緯は分かりませんが、先ほども少しお話しましたが、スサノオ様は一般的に「厄除けのご利益」で知られています。
ですから、私の勝手な考えですので何のエビデンスもないですが、もしかしたら「飢饉や天災、貧困などから護って欲しい」という当時の人々の願いだったのではないでしょうか。
上の写真は「三峯神社さん」で、石の鳥居もしっかりあってとても立派な空間です^^
また、もう一社「稲荷社さん」があるのですが、画像がなくなってしまったのか、撮らせていただくのを失念したのか分かりませんが、写真がありません><
稲荷社さんは先ほどの力石の向かって右側に鎮座されています^^
豊玉氷川神社さんの御神木・カヤの木
豊玉氷川神社さんは鳥居の周辺がとても開けた空間になっていて、そこには背の高い木々がたくさんあり、心地の良い空間です。
中でも力石の付近のカヤの木は「氷川神社のカヤの木」として「ねりまの名木」にも選ばれています^^
初の国産ビール麦品種発祥の地
特に豊玉氷川神社さんで栽培していたというワケではないのですが^^;
日本のビール麦栽培は外国から導入された品種で始まっているということで、最初に導入されたのは江戸時代末期で本格的に導入されたのは明治になってからということです。
北豊島郡中新井村(現在の練馬区豊玉)の金子丑五郎氏が明治33年(1900)に六条大麦「四国」とゴールデンメロンの自然交雑によって生じた雑種の中から「金子ゴールデン」を育成したという事で、国産初のビール麦品種として「金子ゴールデン」と名付けたということです。
終わりに
豊玉氷川神社さんは歴史もあり、きれいなつつじも咲いていたり、立派な木々もたくさんあり、とても心地の良い空間です^^
特に大きな派手さのある神社さんではないのですが、地域の人々に愛され、地域の人々を見守り愛してきた神社さんというような印象で素晴らしい神社さんだと思います^^
お近くにお越しの際には、ぜひ参拝されてはいかがでしょうか。
という感じで今回はこの辺りで失礼します。
豊玉氷川神社さんの動画
ご覧いただいたすべての人に幸運が届きますように☆彡
豊玉氷川神社さんのアクセスや最寄り駅
所在地:〒176-0014 東京都練馬区豊玉南2丁目15−5
電話:03-3991-2102
公式サイト:(東京神社庁)
交通:
◼︎都営大江戸線 練馬駅から徒歩約23分
◼︎西武池袋線・西武豊島線・西武有楽町線 練馬駅から徒歩約24分
◼︎西武新宿線 野方駅から徒歩約25分
◼︎西武新宿線 沼袋駅から徒歩約29分
豊玉氷川神社さんの周辺地図
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