こんにちは
クローバーです^^
今回のパワースポットと神社さん巡りは
江戸七氷川の一社「簸川(ひかわ)神社」さんです^^
【目次】
- 文京区小石川の簸川神社さんとは
- 文京区・小石川の簸川神社のご祭神と御神徳・ご利益
- 合格の階段
- 簸川神社のお末社や神楽殿
- 文京区小石川の簸川神社さんの参拝を終えて
- 文京区小石川の簸川神社さんの動画
- 文京区簸川神社のアクセスや最寄り駅
- 文京区簸川神社周辺地図
文京区小石川の簸川神社さんとは
東京神社庁によると簸川神社さんの創建は
次のように書かれています。
当社は、第五代孝昭天皇御宇三年(473年)と伝えられる古社で、八幡太郎義家公奥州下向の折参籠ありし社である。
(引用:東京神社庁)
かなり言葉足らずな感じではありますが^^;
こちらを読む限り「創建が473年」という事でしょうか。
もし、そうなのであれば
今回のお話が「2019年」ですので
約1550年前の創建という事になります。
ですが、調べてみますと
この「473年」というのが「紀元後」なのかな?
というところに疑問を感じます。
歴代天皇で「系譜」はあるものの
古事記や日本書紀で記載がない第2代~第9代までの
天皇やその時代を「欠史八代」と言いますが
その周辺の時代背景を西暦に直すと
ほとんどが紀元前になります。
1 神武(じんむ)天皇 前660~前585
2 綏靖(すいぜい)天皇 前581~前549
3 安寧(あんねい)天皇 前549~前511
4 懿徳(いとく)天皇 前510~前477
5 孝昭(こうしょう)天皇 前475~前393
6 孝安(こうあん)天皇 前392~前291
7 孝霊(こうれい)天皇 前290~前215
8 孝元(こうげん)天皇 前214~前158
9 開化(かいか)天皇 前158~前98
この一覧から見ますと
第5代の孝昭天皇の在位は
紀元前475~紀元前393年ですので
「473年」という年数と一致します。
という事は
言い伝えのままに考えると
創建から2500年くらいになりますね。
ちなみにですが、
473年の天皇で言いますと
第21代の「雄略天皇」という事になります。
また「江戸七氷川の一社」としても知れていて
「望海毎談」の一説がいかになるのですが、
氷川明神、江戸の中に七所あり。
赤坂御門外の社。江戸にては年久し、元大宮の近くに小呂子と云所、氷川を祀りたりし社なり。此所より遷したる所なれば赤坂の宮居を小呂子の宮と呼びたるを誤て小六の宮といふ。
素盞男尊根の国に追せられ、手摩乳足摩乳が家に入給ふ所を日の川上といふ所なれば、日の川上といふ詞を以て氷川と呼て、素盞男尊を祭りたる神なり。
大己貴命は素盞男の御子なりと申すより、此神は此地神の祖たるを以て氷川の神霊には相共に祀る。世人、大己貴命ばかり祀り申すと覚へたり。
将軍家の若君(※徳川家重)御氏神たるを以て、享保十五年戌の正月、今井の明地に宮所結構に御造営ありて遷し給ひ、赤坂の元の宮居は隔年六月十五日祭礼の時の神輿の御旅所に成りて有来。銀杏の大木茂り、深く秋の落葉片々たり。
此外、今井の徳盛寺の内の氷川の社、麻布一本松の市中の社、羽根田村にて新堀近き所の社、下渋谷にて羽根田の屋敷口の社、又北の方にては上水の鰭なる萬年寺山の社、巣鴨の入口なる氷川の社頭は坂より上へ見上る所にして、いと神々しく、何も氏子多く賑ふなり。
(望海毎談)
この一節の
「巣鴨の入口なる氷川の社」というのが
「簸川神社」という説が有力のようです。
文京区・小石川の簸川神社のご祭神と御神徳・ご利益
素盞鳴命(すさのおのみこと)
大己貴命(おおなむぢのみこと)
稲田姫命(いなだひめのみこと)
素盞鳴命(すさのおのみこと)は
ご存じ、暴れん坊な面もありますが
「五穀豊穣」「商売繁盛」「厄除」「開運」「縁結び」
などの御神徳で知られています^^
オオゲツヒメ様をお斬りになり
そのオオゲツヒメ様から五穀が誕生したり、
ヤマタノオロチ退治での「厄除」
そのヤマタノオロチ退治の条件でもある
「イナダヒメ様を娶る」という事での「縁結び」
稲田姫様と須賀に宮殿を立てる事での「開運」「夫婦円満」
という感じになるでしょうか。
大己貴命(おおなむぢのみこと)は
「国造りの神様」として知られていて
別の御名ですと「大国主命」として有名です。
「大国主命(おおくにぬしのみこと)」でいうなら
「出雲大社」のご祭神として「縁結びのご利益・御神徳」が
有名でしょう。
稲田姫命(いなだひめのみこと)は
先ほど少し触れましたが、スサノオ様の
ヤマタノオロチ退治の後に2柱はご一緒に
須賀の地で宮殿を建て隠居なさなっています。
その御名から「稲田の神さま」です。
他にも「夫婦和合」「縁結び」「金運招福」などの
ご利益やご神徳があります。
合格の階段
文京区は「文(ふみ)の京(みやこ)」という
美しい呼び名があります。
漱石や鴎外などの文豪が文京区に縁があり、
また、東京大学などがあることから
このような呼び名があるのでしょう。
ここ簸川神社には「合格の階段」という
50段の階段があります。
なぜ「合格の階段」というのか不明だそうです。
簸川神社のお末社や神楽殿
拝殿の手前に二つの小さな社があります。
左側が水神社さんで右側が白宝稲荷社さんです。
小さなお社なのですが
とても立派で丁寧な造りのお社です^^
こちらのお末社は「五社神社」さんと言いまして
近くの神社さんを合祀されたそうです。
「五社」はどのような神社さんがお祀りされているのか
詳細は不明です。
こちらは簸川神社さんの神楽殿です。
とても近代的というか不思議な造りです。
文京区小石川の簸川神社さんの参拝を終えて
何年か前の話ですが
江戸七氷川の一社・簸川神社さんの御朱印を拝受したく
こちらの簸川神社さんに参拝させていただきました。
個人的に「毎月参拝している神社さん」
「一宮の神社(専用の御朱印帳があるため)」
「氷川神社さん」の御朱印しか拝受しないことにしています。
一度、参拝したときには
残念ながら神職さんがいらっしゃらなくて
2回目はいらっしゃることを確認してから
参拝に行かせていただきました。
50段の「合格の階段」を登り終えた所から
下を見渡すとなかなか良い眺めですし、
全体的に静かで引き締まった空気が心地よいです^^
そして個人的にはコンクリート造で
どっしりと構えている神明造の拝殿が
とても好きな神社さんです。
1958年に造られた拝殿で
1945年の東京大空襲や関東大震災で
度重なり焼失したため当時としては珍しい
「コンクリート造」の拝殿にしたのです。
氷川神社さんに行くと
その多くが「温かい雰囲気」を感じるのですが
こちらの簸川神社さんは荘厳な空気の方が
強いと感じます。
ちなみに「簸川」と書くのは
大正時代に出雲国の「簸川」に由来するという
研究結果から「簸川神社」に改号しています。
「温かい雰囲気」の氷川神社さんも魅力ですが
「荘厳な雰囲気」の簸川神社さんも
大変魅力的ですので、ぜひとも感謝と敬意をもって
参拝していただきたいと思います^^
なかなか参拝に行くのが難しい。
という人も多いと思いますので
簸川神社さんの参拝動画を作りましたので
良かったらご覧ください。
文京区小石川の簸川神社さんの動画
ご覧いただいたすべての人に幸運が訪れますように♪
文京区簸川神社のアクセスや最寄り駅
所在地 〒112-0011 東京都文京区千石2-10-10
TEL 03-3941-6687
FAX 03-3941-6687
最寄り駅 東京メトロ丸ノ内線「茗荷谷駅」 徒歩6分
都バス「湯立坂下」 徒歩2分
関連サイト:簸川神社【ひかわさま】 - 東京都神社庁
文京区簸川神社周辺地図
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