こんにちは
クローバーです^^
今回の引き寄せの法則と潜在意識の法則は
人間学で「人生の法則・身に付けるには一生を要する」
です。
【目次】
やり始めたばかりでは結果は出ない
今回のお話は
致知2018年10月号からのお話です。
あなたは「一つのことを極めよう」と思って
何かに没頭したことはあるでしょうか?
または「この分野で成功したい」とか
「素晴らしい結果を残したい」という志しで
何かに取り組んでいたことはあるでしょうか?
もし、あなたが挑戦していることで
「まだ結果が出ていない」ということや
「一度、やってみたけど諦めてしまった」
ということがあるのであれば
今回のお話から何かを感じていただけると幸いです^^
私自身、今回のお話の一節を読んでいて
「まだ頑張り続ける価値がある」と思い、
諦めることなく頑張ろうと決意を新たにできました^^
私が購読させていただいている月刊誌「致知」は
「人間学を学ぶ月刊誌」というサブタイトルがあり、
次ごとにテーマがあり、そのテーマに沿って対談や
インタビューなどをしています。
そして2018年の時点で
創刊からなんと40周年を迎えています。
それだけ多くの読者から支持されている。
ということになるのでしょう。
私自身も毎号、楽しみにしていて
多くのことを学ぶことができています^^
その「創刊から40年」で学び得たことを
今回のお話の題材に引用させていただいたコラムで
お話していただいてるので
私たち自身も学ぶことが多いのではないかと思います。
最初に40年を振り返った
次のような一節があります。
この四十年を振り返り、感慨がある。
十年で基礎工事ができ、二十年で入口に入り、
三十年で道の風景が見えてきた。
四十年でいま思うのは、一所懸命道を創ってきたつもりが、
道に歩ませてもらっていた、という実感である。
(引用:致知2018年10月号)
私自身、学んでいる事や
実践している事もたくさんあり、
結果が出始めているものもありますが
ほとんどの事がまだ「大成する途中」です。
私自身、
引き寄せの法則や潜在意識の法則を学び初めて
2019年8月の時点で約10年くらい経ちました。
学び始める前はグチっぽく悲観的な性格でしたが
3年~5年くらいで思考や感情の「基本的な部分」を
変えていくことが出来るようになり、
私の思考や感情が変わっていくに従い、
私に周りの出来事や物事が好転していきました。
そして、私自身が学んだことを
一人でも多くの人のお役に立てたら。
ということで2016年の5月に
このブログを作り始めました。
その後、
引き寄せの法則や潜在意識の法則の内容だけでなく
「神社さん」「成功哲学」といった感じで
学んできたことやお伝えしたいことが増え、
最近では「人間学」についてお伝えすることも
多くなってきています。
ですから、作り始めてから
2019年時点でまだ約3年の当ブログは
まだまだ多くの人のお役に立てる可能性を
十分に秘めていると思うことが出来ています^^
なぜなら、まだ「基礎工事」の段階の序盤で
「道の入口」にも入っていないからです。
さらに言えば
私自身、思うようにいかない事や
頑張っても結果が出ない時、一時的な敗北などの時には
完全に引き寄せの法則や潜在意識の法則を
活かせていない状態になってしまうこともあります。
そう考えると、私自身、
まだまだ「道の入口に入っていない」
という意味がハッキリと分かります^^;
【板橋区ときわ台天祖神社の手水舎】
人間の花は10年後に咲く
また、あなたが今、頑張っていることに対して
「なかなか思うような結果が出ていない」と感じているのであれば
次の一節が参考になるのではないでしょうか。
十年で得たそれは、
人間の花は十年後に咲くということである。
人間の花はすぐには咲かない。
五年、六年でも咲かない。
こんなに努力しているのに、と途中で投げ出す人がいるが、
それでは永遠に花は咲かない。
十年の歳月が教えてくれた法則である。
この一節を聞いて「ハッと」なる人は
多いのではないでしょうか。
私自身も振り返ってみると
今までトライしたものの、
いつの間にかやらなくなってしまった事や
習慣付く前に終わってしまった事が結構あります^^;
先ほどの一説を読んで
私自身が一番先の思い出したことは
「トイレ掃除」でした。
ちょうど、職場のトイレ掃除を
日課にしようと思っていて「トイレ掃除 金運」
という感じで調べていた時に
「自宅のトイレ掃除を日課にする」と決めていたことを
ふと思い出しました。
「思い出した」ということは
残念ながら日課にすることは続きませんでした^^;
たしか、小林正観さんの
「ありがとう1万回」などに関しての本を読んだ時に
「トイレ掃除」に関しても書いてあり、
私もトイレ掃除を毎日やろうと決めたのですが
残念ながら10年続けることはありませんでした。
「もし、たら、れば」を言っても
過ぎ去った時は巻き戻せませんので
今回のお話を教訓にまたやり直そうと思います^^
そして、20年目については
このように書かれています。
二十年で得たことは、
人生は投じたものしか返ってこない、ということである。
人生に何を投じたか。投じたものが自分に返ってくる。
人前では健気に努力しているふりをしているが、
人目がないところでは手を抜く。
それも人生に投じたものである。
そういう姿勢はその時はさほど意識されないが、
数年、あるいは数十年後に必ず自分に返ってくる。
先ほどのトイレ掃除の話ではないですが、
職場のトイレを例にとると職場に人がいる時だけ
「頑張っていますね」と言われたいがために
掃除をしていたとしましょう。
そのような場合ですと
当然、職場に人がいない時などは
トイレ掃除をしていない事になります。
もちろん、何もしないよりも
職場に人がいる時だけでもした方が良いのですが
「人がいない時には手を抜く」ということに関しては
変わりはありません。
そのような事をする人というのは
万事がそのような傾向にあります。
反対に人が見ていようと見ていまいと
しっかり周りのことを考えた仕事を続けている人は
いつか必ず日の目を見ることになるのです。
私自身、まだ「20年継続した」
という物事がありませんのでブログなどを
これから20年継続の道を続けていきたいと思います^^
【板橋区ときわ台天祖神社の拝殿】
私たちの思考や感情が人生を創り成功者になる
そして30年で得たことは
次のように書かれています。
三十年で得た気づきは、人生で何をキャッチするか、
キャッチするものの中身が人生を決める、
ということである。
同じ話を聞いても同じ体験をしても、
キャッチするものの中身は千差万別である。
つまり人生は受け手の姿勢が常に問われる、
ということである。
キャッチするものの質と量は、その人の真剣度に比例する。
この考えというか「実感」に関して
「思考や感情が人生を創造する」という考えの
「引き寄せの法則や潜在意識の法則」と同じと言えます。
同じ出来事や物事が起こった場合でも
一人は「良かった、勉強になった」と感じ、
もう一人は「最低、最悪の出来事だった」と感じたとします。
どちらの人が「より良い人生」を創造できるでしょうか。
ということと同じです。
私たちの人生は
私たちの「感じ方」「考え方」によって決まります。
言い換えれば
「私たちの思考や感情が人生を創造している」
という事なのです。
これらのことは
引き寄せの法則や潜在意識の法則では
「基本的な考え」ではあるのですが、
「月刊誌・致知」は30年の経験として
身をもって教えてくれているのです。
そして、40年に関しては
次のように書かれてます。
四十年のいま抱いている思いは、
道は無窮ということだ。道に限りはない。
人生、これでよいということはない。
「人生、これで良いという事はない」
という表現は時として誤解されやすい表現で、
「今に感謝する」「今あるものや環境に感謝する」
という事と反対のことだと思われる事もあります。
「人生、これで良いという事はない」
という事は「常に学び続ける」「自分を高め続ける」
というような「向上心を持ち続ける」という事と
「慢心しない」という事につながります。
「慢心しない」という事は
自分の周りに同等以上の人がいなくなると
「自分に意見する人」がいなくなり、
そこで成長が止まってしまう人が多くいます。
優れた経営者などが
セミナーや勉強会で学び続けたり、
同等以上の人たちがいるところに行くことは
「慢心しない」という意味もあるのです。
歴史上でも強大な力を手にした後に
自分に意見する人がいなくなり
あっという間に没落する例は多々あります。
それらの意味を踏まえたうえで
「人生、これで良いという事はない」
という事であって、むしろ感謝は誰よりもすべきです。
先ほどの一説を読んで
私自身、引き寄せの法則や潜在意識の法則を伝える事は
言わずものがなですが、学ぶ過程で興味を抱いた神社さんや
神々様の素晴らしさも多くの人に伝えていきたい。
という思いを実施し続ける決心が出来ました。
1000の神社さんを巡ることを
一つの目標にしていましたが、
その目標を達成した後にも2000、3000と
限りない目標があると気付きました。
もちろん、どんな仕事であっても
「これで良い」という事はありませんし
「道は限りなくある」のです。
そして、この「道に限りはない」というのは
「修行に終わりはない」という事と同じですので
歴史に名を刻むような人物や成功者の多くが
このような考えを持って「道」を歩み続けたことがわかります。
言い換えるのならば
私たちも同じ志や考えを持ち、
道を歩み続けることで、
私たちの中の「成功者」となれるのです。
人間学の究極の言葉とは
今回のお話の最後は
とても興味深い一節がありましたので
その一節で閉めたいと思います。
最近、人間学の究極はこの言葉に尽きるのではないか、
と思うようになった。
それを釈迦が端的に表現している。
「上求菩提 下化衆生」である。
どこまでも自分という人間を向上させていくこと。
それが「上求菩提(じょうぐぼだい)」である。
「下化衆生(げけしゅじょう)」はその自分をもって
人のために尽くしていくこと。
人は何のために生きるのか。何のために働くのか。
何のために学ぶのか。そのすべての問いに対する答えを
この言葉は包含している。
人生の法則は常にシンプルである。
それを身に付けるには一生を要する
「自分の高め、人のために尽くす」
このシンプルな言葉が人間学の究極といいます。
確かに言われてみれば
そのような仕事であっても
「自分を高めること」によって
「人の役に立つ」事はできます。
例えば、料理人さんで言えば
料理の腕を上げることで多くの人を幸せにできます。
ホテルマンさんなどの接客に関わる仕事であれば
接客の技術やマインドセットをすることで
多くの人に感動を与えるでしょう。
コンビニエンスストアやスーパーなどの
レジを打ったりする仕事であれば
テキパキして速度や精度を高めることで
お客さんのスムーズな買い物の役に立てるでしょう。
そのようにどのような事であっても
「自分を高めて人の役に立つ」という事はあるのです。
私自身も今回のお話を通じて
「途中でやめてしまった習慣の見直し」や
「自分を高めて人の役に立つ」というマインドセットを
しっかり確立して行こうと気持ちを新たに出来ました^^
私の願いの一つに
「このブログを通じて多くの人を成功と幸福に導く」
というモノがあります。
あなたが今回のお話で得るものがあり、
あなたの望んだ通りの人生を得ていただくことが
私の願いでもあるのです。
という感じで今回はこのあたりで失礼します。
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