こんにちは
クローバーです^^
今回の引き寄せの法則と潜在意識の法則は
人間学で「組織としての目標を達成する」です。
【目次】
ALSOK会長兼CEOの村井温(むらいあつし)さん
今回のお話は致知2018年9月号より
井上康生さんと村井温(むらい あつし)さんの
対談からのお話です。
井上康生さんと言えば
柔道でオリンピックで金メダルを獲ったり
男子柔道の監督して史上初の7階級すべての階級で
メダルを獲得したとして知られています^^
前回のお話は井上康生さんが
柔道で強くなった理由についてのお話でしたので
今回のお話は村井温さんのお話にしようと思います^^
ちなみに、前回のお話はコチラです^^
↓ ↓ ↓
村井温さんについて簡単にお話させて頂きますと
東京大学を卒業後に警察庁に入庁し、
富山県、熊本県、福岡県警警察本部長、
中部管区警察局長などを歴任し、
退官後、平成10年にALSOKの副社長に就任し、
その3年後に社長となり、現在ではALSOK会長兼CEO
という経歴となっています。
ALSOKと言えば
私が10代後半くらいの頃に
「綜合警備保障」という社名で
テレビコマーシャルをやっていた記憶があります。
当時は「ALSOK」ではなく「SOK」という
名前だったような気がします。
元々、現ALSOKは
村井さんのお父さんが東京オリンピックの時に
選手村の一部を警備しているのが「外資系の警備会社」
ということだったので、「日本企業がやるべきだ」
という事で会社を興したそうです。
村井さん自身は「会社は兄が継ぐだろう」
と思っていたので、そのまま30年、
警察一筋に努めてきたのです。
先ほどの経歴でも少し触れましたが
村井さんは「東京大学卒の警察庁入庁」ですので
一言で言えば「エリート」ですね。
警察官僚時代の階級は「警視監」で
階級は上から2番目になり、
上の階級には階級外の「警察庁長官」を除けば
上には「警視総監」しかない階級です。
そのような「エリート中のエリート」の
村井さんは警察庁時代に学んだ事について
お話してくれています。
警察庁に入庁するとすぐ部下が付き、
3年経つと「警視」になって県警本部の課長になります。
村井さんも20代で部下が100人ほどいたそうです。
【大國魂神社の随神門】
部下をどう活かして使うか
そのような状況で学んだ事について
村井さんは次のようにお話しています。
部下のほうが皆年上で、経験や知識も
自分より遙かに優れているわけですが、
その中で仕事をしていくためには、
自分が優れているということを見せようとするのではなく、
どうやってそれぞれの人の仕事をしやすくするか、
その人の適合に合った仕事をしてもらえるかを考えながら、
組織の目的を達成して行く事が必要な要素になります。
(引用:致知2018年9月号)
「部下の方が年上で知識や経験も豊富」
という状況はとても仕事がしにくい状況だと思います。
多くの場合は、
周りの部下たちに「自分が優れている面を見せよう」と
必死になり過ぎる傾向にあります。
ですから、部下との間に摩擦が生まれたり、
部下の良い所や頑張っているところを
素直に認める事ができない。
という事にもなってしまうのです。
そうなると、当然、部下との摩擦が生まれたり、
衝突をくり返したりしてしまいます。
そうなると、お互いに優れた人物なのに
お互いの足を引っぱり合ったり、
良くない傾向に陥りやすいのです。
ですから「部下を上手に使う」という事は
とても重要な事なのです。
【大國魂神社の拝殿】
強国・楚を打ち破った漢の高祖
司馬遷の「史記」の中に
漢の高祖が漢王朝を興すまでの話があり、
司馬遼太郎さんの「項羽と劉邦」という小説でも
有名な話となっています。
「四面楚歌」「国士無双」「左遷」というような
故事成語が多く残る話であります。
その中で対比されるのは
「漢の高祖・劉邦」と「楚王・項羽」です。
劉邦は張良、韓信、蕭何、陳平といった
有能な部下の進言を素直に取り入れる事が多く、
そのために強国・楚を打ち滅ぼすことが出来ました。
反対に圧倒的な力を誇った項羽にも
「范増」という優れた軍師がいました。
項羽はその范増を「亜父(あふ・あほ)」といって
敬愛していましたが、最終的には計略にはまり
項羽はその范増の意見さえも聞き入れることはありませんでした。
結果として、有能な部下の進言を多く取り入れた劉邦が
たった一人の軍師・范増さえも用いれなかった項羽を滅ぼし、
漢400年の礎を築く事になるのです。
このような話から、組織としての目標を達成するには
項羽のように「自分が優れている」という事ではなく
劉邦のように「部下を効率よく動かす」という事が
とても大事な事になるのです。
先ほどの村井さんのお話でも
まさに同じ事をおっしゃっていたのです。
「自分の能力」よりも「部下と一緒に達成する」事
村井さんはトップダウンで指示を出すのではなく
人材を適材適所に配置して
会社の目標を一緒にどうやって達成していくか。
という発想でやってきたそうです。
「自分の能力」よりも「部下をどう活かすか」
という事を考えていたのでしょう。
そのようなスタイルを続けて行く事で
村井さんが社長になった当時は
売上が約2400億円だったのが
20年かけて約4300億円になったそうです。
そして、社員数も23000人から
37000人まで増えているそうです。
私自身もかつてマネジメントを始めたばかりの頃は
「自分の能力が高くないと部下は付いてこない」
という事を思っていました。
ですが、先ほどの「項羽と劉邦」の話もそうですし
今回の村井さんの話でもそうですが
組織として目標を達成するには
「部下をどう活かすか」という事が鍵になるのです。
私の願いの一つに
「このブログを通じて多くの人を成功と幸福に導く」
というモノがあります。
あなたが部下を活かして使う事で
あなたの望んだ通りの人生を得ていただくことが
私の願いでもあるのです。
という感じで今回はこのあたりで失礼します。
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