こんにちは
クローバーです^^
今回は
「人を動かす【D・カーネギー】の内容と要約と感想」です。
【目次】
1、人を動かす三原則
⑴盗人にも五分の理を認める
私たちはつい、相手が悪いと思った時に相手を責めがちです。
もし仮に相手が100%悪いとしても、それを責めることは
慎重になるべきです。
本の中の例として「二丁ピストルのクローレー」という
凶悪な殺人犯の話が出ています。
その犯人は捕まり、刑に服する時が来ました。
その時の話でこんな一説があります。
クローレーがシンシン刑務所の電気椅子にすわるとき、
「こうなるのも自業自得だ。大勢の人を殺したのだから」と、
いっただろうか。いや、そうはいわなかった。
「自分の身を守っただけのことで、こんな目にあわされるんだ」
これが、クローレー最後の言葉であった。
この話の要点は、凶悪無類のクローレーでさえ、
自分が悪いとは全然思っていなかったという事だ。
(出典:人を動かす)
また、次の一節がこの話の核心となるでしょう。
犯罪者は、たいてい、自分の悪事にもっともらしい理屈をつけて、
それを正当化し、刑務所に入れられているのは実に不当だと
思い込んでいるものなのである。
(出典:人を動かす)
アメリカの偉大な実業家のジョン・ワナメーカーは
次のように言っています。
三十年前に、私は人をしかりつけるのは愚の骨頂だと悟った。
自分のことさえ、自分で思うようにはならない。
神様が万人に平等な知能を与えたまわなかったことにまで
腹を立てる余裕はとてもない。
(出典:人を動かす)
私自身も部下や後輩に「なんで、そんなことが出来ないのか!」と
厳しく叱責した事が今まで何度もありました。
その叱責により、相手が飛躍を遂げたかと言えば
残念ながらそうではありませんでした。
一時期、私の顔色を伺う程度で
また同じようなミスを繰り返していたり
成長がなされていない事の方がほとんどでした。
同じような経験はあなたにもあるのではないでしょうか?
または、あなた自身がしかりつけられた時に
素直に反省したでしょうか?
もちろん、中には素直に反省できる人もいるかも知れません。
ですが、
多くの場合は以下の一節のようになるのではないでしょうか?
人間はたとえ自分がどんなに間違っていても
決して自分が悪いとは思いたがらないものだという事が
わかりかけてきた。
他人のあら探しは、何の役にも立たない。
相手は、すぐさま防御体制をしいて、
なんとか自分を正当化しようとするだろう。
それに自尊心を傷つけられた相手は、
結局、反抗心をおこすことになり、まことに危険である。
(出典:人を動かす)
まさに上の一節の通りのことを私はしてしまった事があります。
相手は私の上司だったのですが、
あまりに周りのやる気を削ぐ事ばかりの言動だったので
あきれ返ってしまって、その事をストレートに
相手にグループLINEで伝えました。
すると、その相手の上司は
「自分が悪くない!」と言わんばかりの内容を
長文で、しかも私に全てをなすりつけて来るような内容でした。
さすがに私の部下たちと共に更にあきれ返ってしまったので
これ以上、言っても無駄だろう。という事で放置する事にしましたが
先ほどの一節を知っていれば回避できた出来事でした。
私たちが知っておくべき一節は次のモノも同じです。
偉大な心理学者ハンス・セリエはこういう。
「われわれは他人から賞賛を強く望んでいる。
そして、それと同じ強さで他人からの非難を恐れる」
批判が呼び起こす恐りは、従業員や家族・友人の意欲をそぐだけで、
批判の対象にした状態は少しも改善されない。
(出典:人を動かす)
まさにその通りで、さきほどの上司も
その後も変わらず周りのモチベーションを低下させることに
意欲を燃やしているのか?とさえ思える始末でした(笑)
元々、気が小さく、私たち(私と私の部下たち)が
相手の上司に対してあきれているのを知っているので
「自分の方が偉いんだ!」という事を誇示したかったのでしょう。
後々、この記事の中でも出て来ますが
「相手の立場になれなかった私自身の誤り」だったと思います。
私たちが覚えておくべきことは
相手が間違いなく悪い場合でも
それを真っ向から非難しなり正論をぶつけない事でしょう。
次の一節はそれについて十分語ってくれています。
悪い人間ほど自分のことは棚に上げて、人のことをいいたがる。
それが人間の天性なのだ。ところが、これは悪人だけの話ではない。
われわれもまた同じだ。(中略)
人を非難するのは、ちょうど天に向かってつばをするようなもので、
必ずわが身にかえってくる。
人の過ちをただしたり、やっつけたりすると、
結局、相手は逆にこちらを恨んで、タフトのように、
「ああする以外に方法はなかった」というくらいが関の山だ。
(出典:人を動かす)
上の一節の「タフトのように」というのは
セオドア・ルーズヴェルト大統領と後継者のタフト大統領の話で
共和党の前例のない敗北をルーズヴェルトに責められ(共に共和党)
「どうかんがえてみても、わたしとしては、ああする以外に、方法はなかった」
とタフトが涙を浮かべ人に語り、「自分が悪かった」とは言っていない。
という話のことです。
どんなにルーズベルトがタフトを責めても
タフトに「自分が悪かった」と言わすことはできず、
返って自分の正当化にやっきにならせるだけという事です。
私も自分自身を振り返って
誰かしらに頭ごなしに言われている時は
反省よりもまず、自分の正当化したい気持ちしかなかった気がします。
という事は、私たちが周りの人に同じように責め立てれば、
責め立てられた人はも同じように自分を正当化する事しか考えないでしょう。
ですから、そのように相手を責める事で
相手を動かすことは難しいという事ですね。
相手の誤りや欠点を指摘するよりも良い方法が
次の一節にあるのです。
他人の欠点を直してやろうという気持ちは、
たしかに立派であり、賞讃に価する。
だが、どうしてまず自分の欠点を改めにかからないのだろう?
なまじっか他人を矯正するよりも、自分を直すほうがよほど得であり、
危険も少ない。
利己主義的な立場で考えれば、たしかにそうなるはずだ。
自分の家の玄関がよごれているのに、隣家の屋根の雪に難癖をつけるな
と教えたのは、東洋の賢人孔子である。
(出典:人を動かす)
上記の一節にある「危険も少ない」というのは
かなり重要度は高いですね。
相手の欠点を指摘する事は
時として大変、相手に恨みを買う事もあるのです。
こんな一説があります。
死ぬまで他人に恨まれたい方は、
人を辛辣に批評してさえおけばよろしい。
その批評が当っておればおるほど、効果はてきめんだ。
およそ人を扱う場合には、相手を論理の動物だと思ってはならない。
相手は感情の動物であり、しかも偏見に満ち、自尊心と虚栄心によって
行動するということをよく心得ておかなければならない。
(出典:人を動かす)
確かに正論ほど人を傷つける。などとも言いますので
人の批評が当たっていればいるほど、相手の自尊心を傷つけやすく、
大げさではなく恨まれてしまう事もあるでしょう。
先ほど話した私のかつての上司の話もまさにそうで、
私が正論を吹っ掛けて、相手の自尊心を傷つけたために
恐らく相手は「自分の方が上なのだ!」という事を誇示したのでしょう。
私自身、耳の痛い一節ですが、
覚えておくべき一節が以下の通りです。
人を批評したり、非難したり、小言をいったりすることは、
どんな馬鹿者でもできる。
そして、馬鹿者にかぎってそれをしたがるのだ。
(出典:人を動かす)
また、「フランクリン自伝」でも知られる
アメリカ独立に多大な貢献をしたと言われるベンジャミン・フランクリンは
彼の成功の秘訣をこう語っています。
「人の悪口は決していわず、長所をほめること」だそうです。
「人の悪口を決して言わず、長所をほめる」という事は
とても難しいことかも知れません。
ですが、そういう習慣を付ける意識を持つ価値は
十分にありそうです。
その難しく思う事を習慣に出来たとき、
私たちは素晴らしいものを手に入れられるようです。
理解、寛容は、すぐれた品性と克己心をそなえた人に
初めて持ちうる徳である。
英国の思想家カーライルによれば、
「偉人は、小人物の扱いによって、その偉大さを示すもの」だという。
上の一節は、
それこそ私たちの自尊心を満たしてくれるものではないでしょうか?
私たちが人の悪口を言わず、長所をほめることは、
私たちのその優れた品性によるものであって、
小人物を上手に扱う事は私たちが偉大な人物たらんとするため。
と考えてみると良いかも知れませんね^^
最後に次の一節で締めたいと思います。
人を非難するかわりに、相手を理解する事に努めようではないか。
どういうわけで、相手がそんなことをしでかすに至ったか、
よく考えてみようではないか。
そのほうがよほど得策でもあり、また、面白くもある。
そうすれば、同情、寛容、好意も、おのずと生まれ出てくる。
すべてを知れば、許すことになる。
いわずものがなですが、
多くのビジネス書籍に書かれている事は
「それが出来たら苦労はしない」というようなことが
書かれている事が多いです。
自分が非難したいとさえ感じている相手を理解しようとするのは
大変困難なことだと思いますし、
私自身も出来ているとは言えません。
ですが、それでもなお「やってみよう」という気持ちで
挑戦してみる事が大事な事なのかもしれませんね。
「相手を理解しようとする気持ち」を
持つ努力をしてみてはいかがでしょうか?
【人を動かす原則①】
批評も非難もしない。苦情も言わない
⑵重要感を持たせる
人を動かす秘訣は、この世にただ一つしかない。
この事実に気づいている人は、はなはだ少ないように思われる。
しかし、人を動かす秘訣は、間違いなく、一つしかないのである。
すなわち、みずから動きたくなる気持ちを起こさせること。
これが秘訣だ。
かさねていうが、これ以外に秘訣はない。
2つ目の内容に入った冒頭からかなり核心的な一節です。
仕事上で部下や後輩などを効率よく動かしたり、
ビジネスパートナーなどを動かしたい。
と思っている人は多いのではないでしょうか?
私自身もやはり、部下が効率よく動いて欲しいと思っています。
その秘訣は「みずから動きたくなる気持ちにさせること」
という事です。
確かに高圧的な態度で脅しつけたり、
怒鳴り散らしたり、正論を叩きつけたりすれば
監視の目がある時だけはしっかりやるかも知れませんが
常に監視の目を光らせておくワケにも行きませんね。
むしろ、その監視をしている時間を生むのであれば
非効率と言わざるを得ません。
ですから、効率よく人を動かすには
「みずから動きたくなる気持ちを起こさせること」なのです。
また、こんな一説があります。
人を動かすには、相手の欲しいものを与えるのが、唯一の方法である。
人は何を欲しているのか?
二十世紀の偉大な心理学者ジグムント・フロイトによると、
人間のあらゆる行動は、二つの動機から発する
すなわち、性の衝動と、偉くなりたいという願望がこれである。
(中略)つまり、人間の最も根強い衝動は、
“重要人物たらんとする欲求”だということである。
あなたもあなたの存在を強く認めてくれる人や
必要とされる時には、とても満足感や充実感を
得られている事はないでしょうか?
それが先ほどの一節の「偉くなりたい」とか
「重要人物たらんとする欲求」と言えるでしょう。
これは誰しもが望むことなのです。
こんな一説があります。
優れた心理学者ウィリアム・ジェームズは、
「人間の持つ性情のうちで最も強いのは、他人に求められることを渇望する気持ちである」という。
ここでジェームズが希望とか要望するとか、待望するとかいう
なまぬるいことばを使わず、
あえて渇望するといっていることに注意されたい。
これこそ人間の心を絶えずゆさぶっている焼けつくような渇きである。
他人のこのような心の渇きを正しく満たしてやれる人は極めてまれだが、
それができる人にして初めて他人の心を自己の手中に
おさめることができるのである。
私たちを含めた多くの人は
必要とされるとか求められるという事を
心の底から求めているのです。
ですから、それを満たしてあげることが出来れば
多くの人を効率よく動かすことが出来るのです!
どれだけ有名になっても権力を持っても
自分を重要だと思いたい欲求は変わらないのです。
その理由は次の通りです。
有名人が自己の重要感を満たすために苦労した興味ある例は、
史上いたるところに見うけられる。
ジョージ・ワシントンでさえ、“合衆国大統領閣下”と
呼んでもらいたがっていた。コロンブスも“海軍大提督”、“インド総督”
という称号が欲しかったのである。
また、
アメリカの鉄鋼王として知られるアンドリュー・カーネギーが
U.S.スチール社を設立させた時に社長に迎えたのが
チャールズ・シュワッブという人物です。
その偉大な実業家であるシュワッブが
次のような言葉を残しています。
デール・カーネギーは暗記することを勧めています!
「わたしには、人の熱意を呼び起こす能力がある。
これが、わたしにとっては何物にも代えがない宝だと思う。
他人の長所を伸ばすには、ほめることと、
励ますことが何よりの方法だ。
上役から叱られることほど、向上心を害するものはない。
わたしは決して人を非難しない。
人を動かせるには奨励が必要だと信じている。だから、
人をほめるのは大好きだが、けなすことは大嫌いだ。
気に入った事があれば、心から賛成し、惜しみなく賛辞を与える」
これがシュワッブのやり方である。一般の人はどうか?
まるで反対だ。気に入らなければめちゃくちゃにやっつけるが、
気に入れば何も言わない。
私たちは、日頃、どれだけ人をほめて居るでしょうか?
家族や両親などの身近な人から職場の同僚や友人など
日頃、ほめているでしょうか?
まして、部下などと接する時には
先ほどのシュワッブの言葉を常に念頭に置く方が良いかも知れません。
相手の重要感を満たすためには「ほめる」という事が
重要な事はよく分かったのですが、
それと「お世辞」との違いはあるのでしょうか?
確かにお世辞が上手で出世して行く話は
歴史や物語でも多く見られるものです。
果たして「お世辞」は重要なのでしょうか?
次のような一節があります。
お世辞というものは、利益よりもむしろ害をもたらすものだ。
お世辞は偽物である。偽金と同様、通用させようと、
いずれは、やっかいな目にあわされる。
お世辞と感嘆の言葉とは、どう違うか?答えは、簡単である。
後者は真実であり、前者は真実ではない。
後者は心から出るが、前者は口から出る。
後者は没我的で、前者は利己的である。
後者はだれからも喜ばれ、前者はだれからも嫌われる。
後者は誰からも喜ばれ、前者はだれからも嫌われる。
このくらい本心からほめる事とお世辞を言う事は違うのです。
お世辞と本心からほめる事の違いは分かりましたが、
具体的にどうすれば人を心からほめる事が出来るのでしょうか?
次の一節にその答えがあります。
人間は、何か問題があってそれに心を奪われているとき以外は、
たいてい、自分のことばかり考えて暮らしている。
そこで、しばらく自分のことを考えるのをやめ、
他人の長所を考えてみることにしてみてはどうだろう。
他人の長所がわかれば、見えすいた安っぽいお世辞など使わなくても
すむようになるはずだ。
また、
他人ばかりではなく、身内や家族に対しても同じ事です。
家族や身内に対しては、おろそかになりがちですが、
そういう人たちにこそ、しっかりとしていくべきなのです。
次の一節も私たちは忘れてはいけないモノでしょう。
子供が学校から良い成績をもらって帰ってきても、
ほめてやることを怠り、初めてケーキがうまく焼けたり、
小鳥の巣箱が作れたりしても、励ましの言葉をかけてやることも
なかなかしない。
子供にとって、親が示してくれる関心や、賞讃のことばほど
嬉しいものはないのである。
子供や家族や身内、友人などに対して
「人を動かす」というものおかしな話なような気もしますが、
先ほどもありましたが、私たちを含めて人は、
自分が重要だと感じたり、必要と感じることを「渇望している」のです。
ですから、人が「渇望する」ほどのものを
私たちが与えて行くと考えれば自然かもしれませんね。
あなたも経験あるハズです。
夏の暑い日など物凄く喉が渇いて渇いて仕方がない時に
一杯の水やコンビニや自販機でようやく買えた飲み物を飲んだ時の感動。
そんなイメージのように人は賞讃を欲するのです。
人間は例外なく他人からの評価を受けたいと強く望んでいるのだ。
この事実を決して忘れてはならない。
深い思いやりから出る感謝の言葉を振りまきながら日々を過ごす。
これが友をつくり、人を動かす妙諦である。
「妙諦」とは神髄とか、優れた心理のことだそうです。
このように
周りの人に「深い思いやりから出る感謝の言葉を振りまく」姿を
想像してみましょう。
周りの人の笑顔が浮かんできませんか?
私たちの心からの賞讃の言葉に
満面の笑顔で応えている人たちが目に浮かんできませんか?
その時のあなたはどんな表情でしょうか?
きっととても素晴らしい笑顔でしょう。
ぜひとも実行して行きましょう^^
最後に次の一節でこのパートを締めたいと思います。
自分の長所、欲求を忘れて、他人の長所を考えようではないか。
そうすれば、お世辞などは全く無用になる。
うそではない心からの賞讃を与えよう。
シュワッブのように、“心から賛成し、惜しみなく賞辞を与え”よう。
相手は、それを、心の奥にしまいこんで、終生忘れないだろう。
与えた本人が忘れても、受け取った相手は、
いつまでも忘れないでいつくしむだろう。
もしかしたら、あなたの心からの賞讃が
誰かの人生にとって終生忘れる事が出来ない
素晴らしい宝物になるかも知れませんね^^
私たちは、そういう事が出来る人だという事を
忘れないでおきたいモノですね^^
【人を動かす原理②】
率直で、誠実な評価を与える
⑶人の立場に身を置く
あなたは大好きな趣味などを持っていますか?
私は本を読む事と、神社さんに行く事が大好きです!
と、あえて私が大好きなものを語りましたが、
あなたは私が大好きなものの話を聞きたいですか?
それとも、あなたの大好きなものの話をしたいですか?
言わずものがなですね。
今までの話にあるように
人は基本的に自分のことばかり考えているものです。
ですから、
効率よく人を動かすには次の一節が重要になるのです。
人を動かす唯一の方法は、その人の好むものを問題にし、
それを手に入れられる方法を教えてやることだ。
これを忘れては、人を動かすことはおぼつかない。
たとえば、自分の息子にたばこを吸わせてくないと思えば、
説教はいけない。自分の希望を述べることもいけない。
タバコを吸う者は、野球選手になりたくてもなれず、
百メートル競走に勝てないということを説明してやるのだ。
この方法を心得ていると、子供でも、子牛でも、またチンパンジーでも、
意のままに動かすことができる。
確かに「相手の好むものを考える」という事は
とても有意義なモノですね。
子供の頃、犬と猫が家にいましたが、
犬に関してはリードがいつも置いてあたりをガサガサしながら
「お散歩行くよ!」というと大変大喜びでこちらに来ますが、
猫に同じことをやってもまったく興味を示しません。
反対に猫のごはんをドライキャットフードの缶を振ってみたり、
猫用の缶詰を開ける音などが聞こえたら、たちまち飛んできます。
まさに、そういう事なのでしょう。
犬や猫もそうですが、
当然、私たち人間も同じです。
相手が欲しているものや望んでいるものなどを知り、
与えてあげることで、動かる事が出来るのです。
では、そうすれば、
相手が望むものを知ることが出来るのでしょう?
それは「相手の立場に立ってみる」という事です。
「自動車王」と呼ばれるヘンリー・フォードは
次のように言っています。
「成功に秘訣というものがあるとすれば、それは、
他人の立場を理解し、自分の立場と同時に、他人の立場からも
物事を見る事が出来る能力である。」
実に味わうべきことばではないか。
何度も繰り返してよく覚えていただきたい。
まことに簡単で、わかりやすい道理だが、それでいて、
大抵の人は、大抵の場合、見逃している。
もちろん、私もこのことが出来ているとは言えません。
ですが、せっかく簡単で分かりやすく、
且つ、最大級の成果が出る「成功の秘訣」を知ったのですから、
出来ないながらも、やろうとする努力をしたいモノですね^^
「出来るわけがない」とか「偉人だからできたんだろう」
と思ってしまったは何も始まらないので、
私も今から、出来ないながらも実践して行こいうと思います^^
「相手の立場を理解する」という事は
人間関係だけではなく当然ビジネスシーンでも大いに活躍します。
今日もまた数千のセールス係が、十分な収入を得られず、失望し、
疲れ果てて街を歩いている。なぜだろう。
彼らは常に自分の欲するものしか考えていないからだ。
われわれは、欲しいものがあれば、別に何も買いたいとは思ってない。
それが彼らにはわかっていないのだ。
われわれは、欲しいものがあれば、自分で出かけていって買う。
われわれは、自分の問題を解決することには、
いつでも関心を持っている。だから、その問題を解決するのに、
セールス係の売ろうとするものが役に立ち事が証明されさえすれば、
こちらから進んで買う。売りつける必要はないのである。
客というものは買いたくて買うのを好むが、
売りつけられる事は好まないのだ。
それにもかかわらず、セールス係の大多数は、
客の立場で売ろうとはしない。
私もパーソナルトレーナー時代にこの言葉を知っていたら
「あのトレーナーは営業がキツくて・・・。」とか
そんな言葉を言われずに済んでいたと思います^^;
まさに、今、私が思った通りのことが次の一節です。
本書を読んで、
“常に相手の立場に身を置き、相手の立場から物事を考える”
という、たった一つだけを学び取っていただければ、
成功への第一歩が、既に踏み出されたことになる。
先ほどのセールス係の例で言えば
相手の立場で考え、「その商品が欲しい!」というような
強い欲求を起こさせることが出来れば、
セールス係の持つ商品は飛ぶように売れるでしょうし、
トレーナー時代の私が「このトレーナーに付いて欲しい!」とか
「トレーナーの存在って重要!」という事が強い欲求になれば
超が付くほどの売れっ子になっていたでしょう。
ですから、
相手の立場に立って相手の心の中に「強い欲求」を起こさせることは
先ほどのヘンリー・フォードのいう「成功の秘訣」なのかも知れませんね。
その「心の中の欲求」について次の一節があります。
ここでオーヴァストリート教授のことばを繰り返していく必要がある。
「まず相手の心のなかに強い欲求を起こさせること。
これをやれる人は、万人の支持を得ることに成功し、
やれない人は一人の支持者を得ることにも失敗する」
相手の立場に立てば、
相手が心の中で欲しているものが分かります。
その欲求を起こさせることが
人を動かすのに大事な事なのです。
【人を動かす原則③】
強い欲求を起こさせる
2、人に好かれる六原則
⑴誠実な関心を寄せる
友人を得たいとする事や人に好かれたいと思う事は
私たちにとって自然の欲求と言えるでしょう。
今回からの章は「人に好かれる原則」ですから
それらについて学んで行きましょう。
それに関して、
私たちがまず、知っておくべきなのが次の一節です。
世の中には、他人の関心を引くために、見当違いな努力を続け、
その誤りに気が付かない人がたくさんいる。
これでは、いくら努力しても、もちろん無駄だ。
人間は、他人のことには関心を持たない。
ひたすら自分のことに関心を持っているのだ。朝も、昼も、夜も。
この一節がまず原則になるでしょう。
好意を寄せている異性に自分をよく見せようとして
自分のことをかわいらしく、または格好よく話したとしても
気を引くことは難しいでしょう。
なぜなら、相手は(相手だけではないですが)
自分のことにしか興味がないからです。
反対にその原則をしり、相手を知るように努める人でも
相手に興味がるかと言えば、半分はそうでしょうケド、
もう半分の興味は、その相手と自分がどうなるか。
という事になるハズです。
いや、半分ではないですよね?
90%くらいは「相手と自分がどうなるか」という事ですね。
そのくらい、人は自分にしか関心がありません。
大勢と一緒に写真を撮ったらまず、誰の顔を探しますか?
という事ですね。
当然、自分の顔を一番最初に探します。
それが人ですから、それは良いのですが、
私たちは「人を動かす」原理原則が知りたいのですから、
それと同じことをやっていては何も変わらないのです。
最近では「嫌われる勇気」などでも知られる、
心理学者のアドラーは次のような事を言っています。
「他人のことに関心を持たない人は、苦難の人生を歩まねばならず、
他人に対しても大きな迷惑をかける。人間のあらゆる失敗は
そういう人たちの間から生まれる。」
繰り返しになりますが、
多くの人は「自分」にしか関心がありません。
それはそれで良いのですが、
私たちは同じではいけないのです。
もう、お分かりだと思いますが、
私たちがすべきことは「相手に関心を向ける」という事です。
デール・カーネギーも次のように語っています。
わたしの経験によると、こちらが心からの関心を示せば、
どんなに忙しい人でも、注意を払ってくれるし、
時間を割いてくれ、また協力もしてくれるものだ。
また、次の言葉も
私たちが心に留めておきたい言葉になるのではないでしょうか?
友をつくりたいなら、まず人のために尽くすことだ。
人のために自分の時間と労力をささげ、
思慮のある没我的な努力をおこなうことだ。
「没我的」とはここでは人のために無私無欲になること。
という意味になるでしょうか。
ここでの話の中の「人に関心を寄せる」事の重要性は
紀元前から言われている事なのです。
紀元前一〇〇年に、ローマの詩人パブリアス・シラスが
既に次のごとく説いている。
「われわれは、自分に関心を寄せてくれる人々に関心を寄せる」
人間の心理や性質というのは
どれだけ長い年月が過ぎても変わらないモノなのですね。
ここで言う「相手に関心を示す」というのは
先ほどの「好意を寄せている異性」に対してのように
「自分が異性とどうなるかという事に関心がある」というようなものではなく、
「ほめる」の時でも話したように「心からの純粋な関心」ではなくてはいけません。
「お世辞」の時と同様で
心からの関心ではない限り、利益は生まれないモノなのです。
【人に好かれる原則①】
誠実な関心を寄せる
⑵笑顔を忘れない
「笑顔の重要性」は多くの人は既に知っていると思います。
知っていながらもうまく行かなかったり、
どのような笑顔が良いのかなどをここでは学んで行きましょう^^
チャールズ・シュワッブは、
自分の微笑には百万ドルの価値があると言っていたが、
ずいぶん控えめに評価したものだ。
彼の並々ならぬ成功は、専らその人柄、魅力、
人に好かれる能力などによってもたらされたものであり、
彼の魅力的な微笑は、彼の人柄をつくりあげる最も素晴らしい
要素なのである。
先ほども登場しましたが、
チャールズ・シュワッブと言えば鉄鋼王として有名な
アンドリュー・カーネギーが社長として迎えた人物です。
「その人柄をつくりあげるほどの微笑」と言われてしまうと
「そんな偉人の笑顔のようにはできないだろう」と思ってしまいます。
先ほどの「重要感を持たせる」にパートにもあった
シュワッブの言葉を思い出してみましょう。
人をほめる事、長所を見る事、励ますこと。
これらが書いてあったハズですね。
そういう事が
「彼の人柄」という言葉に凝縮されているのです。
心から人をほめ、長所を見て励ますことを常として
笑顔を忘れない。
という流れだと思うととてもスムーズですね。
また、次の一節も大事なところになるでしょう。
心にもない笑顔。そんなものには、だれもだまされない。
そんな機械的なものには、むしろ腹が立つ。
私は真の微笑みについて語っているのである。
心あたたまる微笑、心の底から出てくる笑顔、
千金の価値のある笑顔について語っているのである。
また、ミシガン大学の心理学教授、ジェームズ・マッコネル博士は
笑顔についてこう話しているそうです。
笑顔を見せる人は、見せない人よりも、
経営、販売、教育などの面で効果を上げるように思う。
笑顔の中には、渋面よりも豊富な情報が詰まっている。
子供たちを励ますほうが、罰を与えるよりも
教育方法として優れているゆえんである。
先ほどのチャールズ・シュワッブを始めとして
恐らく多くの成功者はこの「笑顔」を中心とした
コミュニケーション力が優れていたのでしょう。
「思考は現実化する」にも
「マスターマインド」という項目があるように
人は一人では成功することはできないのですから。
もし、あなたが特に何も人を動かす必要もなく
人から好かれたりする必要がないのであれば
気分のままでよいと思います。
ですが、
人を変えたい、動かしたいと思うのであれば、
まず、自分が変わって行く事でしょう。
ですから、
人を心からほめたり長所を見たり励ましたりする事を習慣として、
そこから出て来る微笑に磨きをかけて行きましょう^^
とは言え、私たちも人間ですから
笑顔の時ばかりではありません。
そんな時はどうすれば良いのでしょうか?
笑顔など見せる気にならない時は、どうすればよいか。
方法は二つある。まず第一は、無理にでも笑ってみることだ。
ひとりでいる時なら、口笛を吹いたり、鼻うたを歌ったりしてみる。
幸福でたまらないふうにふるまうのである。
すると、ほんとうに幸福な気持ちになるから妙だ。
ハーバード大学の教授の故ウィリアム・ジェイムズも
次のように語っています。
動作は感情に従って起こるように見えるが、
実際は動作と感情は並行するものなのである。
動作のほうは意志によって直接統制する事ができるが、
感情はそうはできない。ところが、感情は、
動作を調整する事によって、間接に調整することができる。
したがって、快活さを失った場合、それを取り戻す最善の方法は、
いかにも快活そうにふるまい、快活そうにしゃべることだ。
心からの笑顔は、多くの人に好かれるだけでなく、
私自身を元気にすることができるのです。
私自身も確実に出来るとは言い切れませんし、
難しいかも知れません。
ですが、それを踏まえたうえで、あえて言います。
私たちは常に心からの微笑を絶やさないべきなのです!
もし、無理だろうな。と思ってしまうのであれば
ぜひ、次の一節を心の中に少し留めておいてください。
笑顔は好意のメッセンジャーだ。受け取る人々の生活を明るくする。
しかめっ面、ふくれっ面、それに、わざと顔をそむけるような手合いに
日常とりかこまれている人々にとって、あなたの笑顔は、
雲間から現れた太陽のように見えるものだ。(中略)
「世間にはまだ楽しいことがあるんだな」と希望をよみがえらせる。
あなたも、もしかしたら経験があるのではないでしょうか?
ものすごい体調が悪かったり、ツラい状態だったり
厳しい状態だったりした時に、誰かの笑顔で心が救われたという事が。
もし、あなたが誰かに「希望」を与えてあげられたのであれば、
もし、あなたが誰かに「希望」をよみがえらせれあげられらのであれば、
もし、あなたが誰かの「希望」になれたのであれば
それは素晴らしい事ではありませんか!
ですから、先ほども言いましたが、
困難なことは百も承知で言いますが、
私たちは常に微笑みを絶やすべきではないのです。
【人に好かれる原則②】
笑顔で接する
⑶名前を覚える
今までの「人に好かれる原理」では
相手に関心を示したり、笑顔でいたりと、
何となくイメージが付きやすいものでしたが
「名前を覚える」というと、ちょっと不思議な感じがします。
ですが、読み進めて行くと、その原理がわかって来ますので
楽しみながら読み進めて行きましょう^^
さっそく、次の一節にその話があります。
人間は他人の名前など一向に気にとめないが、
自分の名前となると大いに関心を持つものだということを、
ジム・ファーレーは早くから知っていた。
自分の名前を覚えていて、それを呼んでくれるということは、
まことに気分のいいもので、つまらぬお世辞よりもよほど効果がる。
逆に、相手の名前を忘れたり、間違えて書いたりすると、
やっかいなことが起こる。
ジム・ファーレーとは
父が無くなり10歳から瓦礫工場で働き出し、高校へも行けなかったが
政界入りして民主党全国委員長になり、合衆国郵政長官になった人物です。
ジム・ファーレーは成功の秘訣を「勤勉」と言ったそうです。
学校へ入っていない彼の「勤勉」の意味は
「五万人の名前を覚えている」ということだそうです。
この能力「名前を覚える」という能力はルーズベルト大統領も
大いに助けとなったそうです。
また、成功者の代名詞と言えば言い過ぎかもしれませんが、
鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの成功の秘訣も同じなのです。
カーネギーは鉄鋼王と呼ばれているが、本人は製鉄のことなど
ほとんど知らなかった。鉄鋼王よりも
はるかによく鉄鋼のことを知っている数百名の人を使っていたのだ。
しかし、彼は人の扱いを知っていた。それが彼を富豪にしたのである。
彼は、子供の頃から人を組織し、統率する才能を示していた。
十歳の時には、既に人間というものは自己の名前に
並々ならぬ関心を持つことを発見しており、
この発見を利用して他人の協力を得た。
10歳の時に「人は名前に関心がある」ということを知る。
というのはすさまじい事ですし、私には到底、及びません。
確かにアンドリュー・カーネギーと
同じことはできないかも知れませんが、
そこからヒントを得て私たちの今後に活かすことはできますね^^
あるまとめサイトによると
歴代の富豪第4位がこのアンドリュー・カーネギーであり、
その総資産は約31兆円だそうです。
余談ですが、特に経済に携わっていない普通の人には
「1兆円」という概念が存在と言われます。
「1日100万円を使ったら何年で1兆円を使いきれますか?」
と問題を出すと計算機を使わない限り、ほぼ100%の人が
正解を出すことができません。
1日100万円を使うと1年で3億6500万円ですね。
1兆円を3億6500万で割ると、なんと、2739.となります。
1日100万円使い続けても27年以上かかるというワケです。
世界では「バビロニア」とか「春秋時代」などの頃から
100万円を使い続けていれば、もうすぐなくなるくらいでしょうか?
という話ですので、カーネギーの総資産は、その31倍ですから
もはや意味が分かりません(笑)
総資産だけがモノの尺度ではないですが、
カーネギーが10歳で出来た事を私たちが10歳でできなかったからと言っても
そんなに大きな問題ではない。ということが言いたいのです。
話が脱線しましたが、
アンドリュー・カーネギーから学びを受けて
私たちも今から「人の名前」に強い関心を示していきましょう!
こんな話があります。
カーネギーがライバル会社のジョージ・プルマンと
鉄道会社に寝台車の売り込みに採算を無視した泥試合になっていたそうです。
カーネギーもプルマンも鉄道会社の首脳に会うために出かけた時に
この両人がホテルで顔を合わせたそうです。
その時にカーネギーから声をかけて
採算が取れない泥試合をしているよりも
両社で合併会社の設立を提案したそうです。
プルマンは半信半疑だったのですが、
カーネギーに「新会社の名前はどうするのか?」と聞いたそうです。
すると、カーネギーは「プルマン・パレス車輛にしますよ。」
と答えたそうです。
このカーネギーの発想で工業史に新しいページが加わったそうです。
どんなに偉大な人物であっても
自分の名前には強い関心があるのです。
むしろ、偉大だからこそかも知れませんが、
特に偉大ではない私でも自分の名前には関心がありますので(笑)
ほとんど全ての人が関心があると言えるでしょう。
次のような一節がありますが、
確かに納得のいくモノではないでしょうか?
テキサス・コマース・バンクシェアズの会長ベントン・ラヴによれば
会社というものは大きくなればなるほど冷たくなる。
「冷たい会社を温かくするには、一つの方法がある。
人の名前を覚えることだ。重役たちのうちには、
名前を覚えられないという人もいるが、つまりは、
重要な仕事が覚えられない。すなわち、仕事の基礎ができていない事を
告白しているのだ」
確かに「人の名前を覚えるのが苦手」という人の話も結構聞きますが、
そんな人には次の一節をよく覚えておいていただきたいです。
大抵の人は、他人の名前をあまり覚えないものだ。
忙しくて、覚える暇がないというのが、その理由でる。
いくら忙しくても、フランクリン・ルーズベルトよりも
忙しい人はいないはずだ。そのルーズベルトが、
たまたま出合った一介の機械工の名を覚えるために、時間を割いている。
アメリカの歴代の大統領がどれほど忙しいのか分かりませんが、
少なくとも神社へ行ったり、ブログを書いたり、
本を読んだりする時間がある私よりは忙しいと思います。
フランクリン・ルーズベルトは人に好かれるいちばん簡単で、
わかりきった、しかも一番大切な方法は、相手の名前を覚え、
相手に重要感を持たせることだということを知っていたのである。
ところで、それを知っている人が、世の中に幾人いるだろうか?
初対面の人を紹介され、二、三分しゃべり、
さて、さようならをする時になって、相手の名を思い出せない場合が
よくあるものだ。
私は今から人の名前を覚える努力をすることを決めました!
【人に好かれる原則③】
名前は、当人にとって最も快い、
最も大切なひびきを持つことばであることを忘れない。
⑷聞き手にまわる
このパートでは「聞く」ということが
重要である事はタイトルが示す通りなので分かりやすいですね。
「聞き上手話し上手」とか「多くの人は聞くよりも話すほうが好き」など
「話を聞く」ということに関しての重要性も今までの経験で
あなたもご存知ではないでしょうか?
その事について更に深堀をして行きましょう^^
「どんなほめことばにも惑わされない人間でも、
自分の話に心を奪われた聞き手には惑わされる」
以前のパートに「ほめる」という内容があったと思います。
誰かの話を熱心に聞いたうえで
心からの賛辞を述べたり、ほめたり出来れば、
相手のあなたへの印象は全く別のものになるでしょう。
また、「話を聞く」ということは
また違った効果を生むことができるのです。
些細なことにも、やっきになって文句をいう人がいる。
中にはそうとう悪質なものもいるが、そういう悪質な連中でも、
辛抱強くしかも身を入れて話を聞いてくれる人、
いくらいきりたってコブラのように毒づいても
じっと終わりまで耳を傾けてくれる人に対しては、
たいていおとなしくなるものである。
仕事をしていると一度や二度は
苦情やクレームの類と遭遇します。
それが客からのものか、上司や同僚、部下からかは分かりませんが
何かしらのそれに遭遇します。
私自身、客から私以外の従業員に対して
烈火のような勢いのエスカレーションの電話をもらった事があります。
もちろん、それ一度ではないのですが、
それはよく覚えています。
凄まじい勢いの電話でしたが
今回の一節のように話をひたすら聞いていたら
最終的には「こんな電話の相手もしなきゃいけないなんて、
あんたも大変だな。」と電話を掛けてきた本人に同情されました。
ヒステリックなくらい、いきり立っていた女性の部下も
同じように「こんな相談受けるのも大変ですよね」と言っていました。
なんというか、相談のレベルではなかったのですが、
冷静になれて良かったですね。としか言いようがなかったですが^^;
いずれにしても「話を聞く」ということは
人間関係において重要な要素であることは間違いないですね。
アイザック・カーマンは、訪問記者中の第一人者だが、
その説によると、好ましい第一印象を与えることに失敗するのは、
大抵の場合、注意深く相手のいうことを聞かないからだという。
「自分のいおうとすることばかり考えていて、
耳のほうがが留守になっている人が多い。お偉方はとかく、
話し上手より聞き上手な人を好むものだ。
しかし、聞き上手という才能は、他の才能よりも
はるかに得がたいもののようである。」
お偉方に限らず、どんな人であっても
「聞き上手」を求めるモノでしょう。
なかなか面白い一節があります。
人に嫌われたり、陰で笑われたり、軽蔑されたりしたかったら、
次の条項を守るにかぎる。
一、相手の話を、決して長くは聞かない。
一、終始自分のことだけをしゃべる。
一、相手が話している間に何か意見があれば、すぐ相手の話をさえぎる。
一、相手はこちらよりも頭の回転が鈍い。そんな人間の
くだらんおしゃべりをいつまでも聞いている必要はない。
話の途中で遠慮なく口をはさむ。
多くの場合、自分が偉いと思い込んでいたり、
優れていると勘違いをしている場合に、上の条項を厳守するようです。
私たちも、そういう事が全くないとは言い切れないと思うので、
自戒を含めて、次の一節を覚えておきたいですね。
長年コロンビア大学の総長を務めたニコラス・バトラー博士は
(中略)こういっている。
「自分のことだけしか考えない人は、教養のない人間である。
たとえ、どれほど教育を受けたとしても、
教養が身に付かない人間である」
このパートの最後に
私たちがしっかり覚えておくべき一節で締めて行きましょう。
話し上手になりたければ、聞き上手になることだ。
興味を持たせるためには、まず、こちらが興味をもたねばならない。
相手が喜んで答えられるような質問をすることだ。
相手自身のことや、得意にしていることを話させるように仕向けるのだ。
相手の話を聞いて、相手の話に興味を示し、
更に相手が喜んで答えられるような質問をする。
基本的に相手に関心がないことには難しい事ですね。
ですが、相手に強い関心を示すことができれば
そう難しい事はないということになるのです。
【人に好かれる原則④】
聞き上手に回る
⑸関心のありかを見抜く
この「人を動かす」という本にたびたび登場する偉人、
セオドア・ルーズヴェルトは人の心をとらえる近道を知っていたそうです。
それが以下の一節になります。
ルーズヴェルトも、他の指導者と同じように、
人の心をとらえる近道は、相手が最も深い関心を持っている問題を
話題にすることだと知っていたのだ。
そのためにルースベルトはこんな努力をしていたのです。
セオドア・ルーズヴェルトを訪ねた者は、
誰もが彼の博学ぶりに驚かされた。
ルーズヴェルトは、相手がカウボーイだろうと
義勇騎兵隊員だろうと、あるいはまた、政治屋、外交官、
その他だれであろうと、その人に適した話題を豊富に持ち合わせていた。
では、どうしてそういう芸当ができたのか、種を明かせば簡単だ。
ルーズヴェルトは、誰か訪ねてくる人があると分かれば、
その人が特に好きそうな問題について、前の晩に
遅くまでかかって研究しておいたのである。
先ほどにもありましたが
自分に興味を示してくれる人に対して
相手もこちらに関心を抱くのです。
ですから、特に客商売をしていて
固定の客などがいる場合にはルーズヴェルトのように
そのお客さんが興味のありそうな話題を調べておくことは
とても重要な事でしょう。
また、周りの人たちに対しても同じです。
「まず相手に関心を示すこと」が重要な事なのでしょう。
【人に好かれる原則⑥】
相手の関心を見抜いて話題にする
⑹心からほめる
「人を動かす三原則」の「重要感を持たせる」の項目の
メインテーマは「ほめる」ということでしたね。
今回の人に好かれる六原則の一つも「ほめる」
ということがテーマです。
ということは「ほめて重要感を持たせること」は
人を扱うシーンにおいて外せない事柄。ということでしょう。
ただし、
デール・カーネギーが人をほめた話をした時に
「ほめた相手から何かを期待したのですか?」という質問があったそうで、
その事を含めてこんな事を言っています。
他人を喜ばせたり、ほめたりしたからには、
何か報酬をもらわねば気がすまぬ。というけちな了簡を持った連中は、
当然、失敗するだろう
確かに、折に触れて「お世辞と心からほめることは違う」
とデール・カーネギーは言い続けてきていますので一貫していますね。
また、
人間の行動に関してとても重要な法則についてこう話しています。
この法則に従えば、大抵の紛争は避けられる。
これを守りさえすれば、友は限りなく増え、常に幸福が味わえる。
だが、この法則を破ったとなると、たちまち、
果てしない紛争に巻き込まれる。この法則とは
常に相手に重要感を持たせること。
既に述べたように、ジョン・デューイ教授は、重要な人物になりたい
という願望は人間の最も根強い欲求だと言っている。
「人間の最も根強い欲求」ということは
当然、私たちにも言えることです。
私も仕事で特に頼まれたワケでもないのですが
会社で推奨されている外部の研修に行った時に
研修の内容が良ければ、内容をまとめて
多くの仲間にシェアしたりしています。
当然、何か見返りを求めてはいませんが、
やはり感謝されたり、役に立った。と言われると
重要感が刺激されて、より頑張ろう。という気持ちになります。
反対に、先ほども話したように上司に対して
重要感を刺激せずに、正論を投げたりすると
ヒステリックな感じで自己弁護と他者批判に努めてきます。
そうならないためにも
先ほどの一節は忘れずにおきたいモノですね。
そして、
次の一節では「黄金律」について話されています。
「すべての人にせられんと思うことは人にもまたそのごとくせよ」
人間は、誰でも周囲の者に認められたいと願っている。
自分の真価を認めて欲しいのだ。
小さいながらも、自分の世界では自分が重要な存在だと感じたいのだ。
見えすいたお世辞は聞きたくないが、心からの賞讃には飢えているのだ。
自分の周囲の者から、チャールズ・シュワッブのように、
“心から認め、惜しみなくほめ”られたいと、わたしたちは、
みなそうおもっているのだ。
それゆえ、あの“黄金律”に従って、人にしてもらいたい事を、
人にしてやろうではないか。
では、それを、どういうぐあいに、いつ、どこでやるか?
いつでも、どこででも、やってみることだ。
「黄金律」というのは先ほどのキリストの言葉だけではなく
近しい言葉をゾロアスターは三千年ほど前に、
孔子が二千四百年前に、老子や釈迦もそれぞれ説き、
ヒンドゥー教の聖典にも同じような言葉が説かれているそうです。
簡単言えば
自分がして欲しい事は他に人にもしてあげましょう。
自分がして欲しくない事は他の人にもしないようにしましょう。
という感じのことですね。
まして、私たちはこの「人を動かす」を通して
人がしてもらいたい事を学んでいるのですから、
私たちが周りの人にやって行くべき事は分かるハズです。
ですから、
それを黄金律に従い実践して行きましょう^^
私たちが黄金律に従い、実践して行けば
世界を変えることができるかも知れません。
かなり大きな事を言いましたが
次の一節から何かを感じるのであれば
そこまで大げさではないと思うのではないでしょうか?
自分が重要な存在なのだと思うように仕向けてくれる人が誰かいたら、
おそらく大勢の人の人生が変わるのではないかと思われる。
もし、あなたがこの一節から何かを感じて、
誰かの存在を重要だということを思えるように仕向けてくれて、
その誰かが、この一節を知って、同じように他の誰かを
重要な存在と思えるように仕向けてあげる。
その輪が広がれば広がるほど、
多くの人が自分の存在を重要な存在だと思えるほど、
その人数が増えれば増えるほど、世界は変わるかも知れません。
もしかしたら、このブログの、この一節を通じで
私たちが、あなたが、世界を変える発信源になるかも知れませんね^^
このパートの最後は
先ほどの一節に勝るとも劣らない素晴らしい一節で締めたいと思います。
人はだれでも他人より何らかの点で優れていると思っている。
だから、相手の心を確実に手に入れる方法は、
相手が相手なりの世界で重要な人物であると率直に認め、
そのことをうまく相手に悟らせることだ。
エマーソンが、どんな人でも自分より何らかの点で優れており、
学ぶべきところをそなえている。といったことを
思い出していただきたい。
【人に好かれる原則⑥】
重要感を与える━誠意を込めて
3、人を説得する十二原則
⑴議論をさける
恐らく、このブログの記事をお読み頂いている人の多くは
勉強熱心で向学心や好奇心、向上心をお持ちだと思います。
ですから、今まで本や研修、セミナーなどから
多くのことを学んで来たりしているのではないでしょうか?
となると、
比較的、議論を好まれる人が多いと思います。
そして、人の間違いを正したり、自分の正しさを証明したり、
いわゆる「論破」することを好む人も多いと思います。
時には他人からの納得いかない指摘に対しての
議論を持ちかけることもあるかも知れません。
私自身も実のところ、そういうタイプの人間です^^;
時には会社のMTGなどで複数人いる中で議論をし、
相手の間違いを指摘することもあります。
ただ、それは
この「人を動かす」という書籍の中の言葉で言うなら
「自己の重要感と優越感を満たすため」かも知れません。
人を効率的に動かすには、
議論をして相手を黙らせたりする事ではないようです。
次の一節が全てだと思います。
「議論に負けても、その人の意見は変わらない」
まさにその通りだと思います。
何名かのMTGで自分に挑んできた人を
他のメンバーがいるまでやっつけたとしても
相手は素直に受け入れるどころか、違うところを突いて来たり
自尊心を傷つけられて意固地になる姿を多々見てきました。
もし、議論に負けた相手が公衆の面前や部下や同僚の前で
「恥をかかされた!」と思っていたのであれば
その悔しさや屈辱感を忘れることはないでしょう。
勝っても遺恨しか残らないのであれば
どのようにしたら良いのでしょうか?
次の一節が大事になります。
議論に勝つ最善の方法は、
この世にただ一つしかないという結論に達した。
その方法とは、議論を避けることだった。
毒蛇や地震を避けるように議論を避けるのだ。
また、ベンジャミン・フランクリンは
次のようによく言っていたそうです。
「議論したり反駁したりしているうちには、
相手に勝つようなこともあるだろう。しかし、それは空しい勝利だ。
相手の好意は絶対に勝ちえない。」
続いてデール・カーネギーはこう言っています。
だから、ここでよく考えていただきたい。
理論闘争の華々しい勝利を得るのがいいか、
それとも相手の好意を勝ち得るのがいいか。
この二つはめったに両立しないのである。
確かに、自分自身が完膚なきまでに論破されたり、
正論を投げつけられると逃げ場が無くなります。
その時、相手に対して
「私を論破するなんてなんて素晴らしい人だ!」
なんて思う人はいないと思います。
特に正論を投げつけられた場合には
初めの頃の項目でもあったように、自分を守ることや
自分は悪くない。ということを主張する事になり、
まして自尊心を傷つけられたら、絶対に忘れないでしょう。
相手も同じなのです。
次の一節は覚えておく必要がありそうです。
正しきが上にも正しき議論をいくらしたところで、
相手の心は変えられない。その点、正しからざる議論をするのと、
なんら選ぶところはない。
また、
何かの誤解を解くために議論をする場合もあるでしょう。
こういう場合の多くは責任の所在などの議論に多くある気がします。
ですが、残念ながらいくら議論を続けたとしても
誤解を解くことはできません。
誤解を解くためには議論をせずに
次の一節のことを思い出してください。
誤解は、議論をもってしては永久に解けない。
気転、外交性、慰め、いたわり、そして、
相手の立場で同情的に考える思いやりをもってして、初めて解ける。
また、議論を避けることに関してリンカーンは
大変興味深い事を言っています。
こちらに五分の理しかない場合には、
どんな重大なことでも相手に譲るべきだ。
こちらに十分理があると思われる場合でも、
小さなことなら、譲ったほうがいい。
細道で犬に出合ったら、権利を主張して咬みつかれるよりも、
犬に道を譲ったほうが賢明だ。
たとえ犬を殺したとて、咬まれた傷は治らない。
先ほどからの流れですので
議論に勝っても恨まれたのであれば仕方がない。
という感じになりそうですね。
ベンジャミン・フランクリンが
「勝っても相手の好意は得られない」と言い、
リンカーンが「道は譲った方が賢明」と語ったように
私たちも自分たちの重要感を満たしたり、自己防衛のための議論は
「人を説得する」という意味において、
極力避けて行く方が賢明のようです^^
【人を説得する原則①】
議論に勝つ唯一の方法として議論を避ける。
⑵誤りを指摘しない
私たちは時として他人の過ちを指摘します。
もちろん、相手をよい方向に導く意味もあるかも知れません。
ですが、そもそも、私たちに
相手の過ちを指摘する資格があるのでしょうか?
そもそも、相手の間違いを、なんのために指摘するのだ。
相手の同意を得るため?とんでもない!
相手は、自分の知能、判断、誇り、自尊心に
平手打ちをくらわされているのだ。当然、打ち返してくる。
考えを変えようなどと思うわけがない。
どれだけプラトンやカントの論理を説いて聞かせても
相手の意見は変わらない。
傷つけられたのは、論理ではなく感情なのだから。
先ほどの「議論を避ける」でも何度も出て来ましたが、
正論や論理を説いたところで、相手を変えることはできません。
これは多くの人が感じている事ではないでしょうか?
先ほどの一節を呼んだ時に
私自身も自分自身の誤りに気付き、大いに反省しました。
「人を説得する」という事は
実は非常に難しい事なのだと知らなければいけません。
もちろん、それまでの信頼関係や
物事の言い方にもよりますが、少なくとも「自分の方が頭が良い」とか
「間違いを正してやろう」というような姿勢では反発を生むだけです。
イギリスの詩人、アレクサンダー・ポープは次のように言っています。
「教えないふりをして相手を教え、
相手が知らないことは、忘れているのだといってやる」
確かに話が上手な人や話や聞きやすいと感じる人は
話の出だしに「ご存知かも知れませんが」とか
「知っているかも知れませんが」というような言葉を使います。
そういわれて悪い気分ではなく
むしろ、相手の話を聞く耳を持てますね。
反対に「知らないと思いますが」とか
言葉は丁寧でも「ご存じないとは思いますが」などと言われたら
あまり良い気分はしないものですね^^;
また、ソクラテスは弟子たちに次のように教えていたそうです。
「私の知っていることは一つだけだ。
自分が何も知っていないということ」
続けてデールカーネギーがこう言っています。
わたしは、どう間違ってもソクラテスよりも賢いはずがない。
だから、他人の間違いを指摘するようなまねは、
いっさいしないことと決めた。
この方針のおかげで、ずいぶんと得をしてきた。
「自分はソクラテスより賢いはずがない」と言い切るデール・カーネギーの
書籍から学ばせてもらっている私は、
当然、ソクラテスやカーネギーより賢いハズがない。
ということは
私もデールカーネギーを習い、他人の間違いは指摘しない方針に
して行くべきだと決めました^^
とは言え、
「間違いを指摘」しなくてはいけない場面も
実社会においてはあるハズです。
そんな時にはどうしたら良いのでしょうか?
続けて次のような一節を言っています。
相手が間違っていると思った時には、
思うばかりではなく、事実、それが明瞭な間違いだった時にも、
こんなぐあいに切り出すのがいいと思うがどうだろう。
「実は、そんなふうに考えてはいなかったのですが、
おそらく私の間違いでしょう。私はよく間違えます。
間違っていましたら改めたいと思いますので、
ひとつ事実をよく考えてみましょう。」
この「おそらくわたしの間違いでしょう。わたしはよく間違います。
ひとつ事実をよく考えてみましょう。」という文句には、
不思議なほど効きめがある。これに反対する人間は
どこの世界にも、まずいないはずだ。
自分は正しくて、相手が間違っている。
という前提の話では、いくらその通りであっても
なかなか人は受け入れることはできません。
ですから、「自分が間違っていると思いますが」とか
「私が間違っているかも知れませんが」などと付けると、
話がスムーズに運ぶのには驚きます。
そういう一言を付ける事で
相手の自尊心を傷つける事なく話ができるので
スムーズに事が運ぶことも多いのです。
相手の自尊心を傷つけたり、口論して怒らせていては
相手を説得することなど遠のくばかりなのです。
最後にこんな一節でこのパートを締めたいと思います。
この章で述べた事柄は、決して目新しいものではない。
千九百年前にキリストは、「速やかに汝の敵と和解せよ」
と教えている。
自分にも多少の非がある場合は相手に譲り、
自分がソクラテスよりも賢くないのであれば、
相手の自尊心を傷つけるような間違いの指摘の仕方はせず、
仮に間違いを指摘する場合は「自分が間違っていることも多いですが」
と一言加える。
そして、周りとの和合に努める。
そのような形が人を説得することには
重要な事になるのでしょう。
【人を説得する原則②】
相手の意見に敬意を払い、誤りを指摘しない。
⑶誤りを認める
これは私を含めて多くの人が難しいと感じる所ですね^^;
ただ、これが出来ない事には
今までのパートにもあったように
自分の間違いを認めないために議論をしたり、
相手の自尊心を傷つけるような言葉を発する事になるのです。
そうならないためには
何か良い方法はないのでしょうか?
次の一節は参考になるかも知れません。
自分が悪いと知ったら、相手にやっつけられる前に
自分で自分をやっつけておいた方が、はるかに愉快ではないか。
他人の非難よりも自己批判のほうがよほど気が楽なはずだ。
自分に誤りがあるとわかれば、相手のいうことをさきに
自分で言ってしまうのだ。そうすれば、
相手には何もいうことがなくなる。十中八、九まで相手は寛大になり、
こちらの誤りを許す態度に出るだろう。
確かに、人に誤りを指摘されるよりも
自分自身で指摘し、自分で周りに先に公言した方がはるかに良いですね。
そのほうが誰かに指摘されるよりも何倍も素直に謝れたり、
反省したりできるものですね^^
恐らくあなたも同じではないでしょうか?
私やあなたがそうなのであれば、
世の中の多くの人もきっとそうなのでしょう。
もし、私たちが自分の誤りを誰よりの先に
自分で指摘し、誤り、反省できるようになれば
私たちは私たちの値打ちを上げる事になるのです。
次の一節は、これからそれをして行こうという私たちには
励みになるのではないでしょうか?
どんな馬鹿者でも過ちのいい逃れぐらいはできる。
事実、馬鹿者はたいていこれをやる。
自己過失を認めることは、その人間の値打ちを上げ、
自分でも何か高潔な感じがして嬉しくなるものです。
「高潔な人格」などというと
私たちの自尊心も十分満たされる気がしてきますね。
まさに「人を動かす」のタイトル通り
私たちも動かされているようですね^^
敢えて、それに乗って見てもよさそうですね。
私たちは私たちの高潔な人格のためにも
自分が誤っているとわかったらそれを認める事にしてみませんか?
堂々と誤りを認めて反省を公言する態度は
きっと私たちの値打ちを上げてくれるでしょう。
最後にこんな一節でこのパートを締めたいと思います。
自分が正しいときには、相手を優しく巧妙に説得しようではないか。
また、自分が間違っているとき、よく考えてみると、
自分が間違っている場合は驚くほど多いものだ。
そういう時には、速やかに自分の誤りをこころよく認めることにしよう。
この方法には予期以上の効果がある。
その上、苦しいいいわけをするよりも、このほうが、
よほど愉快な気持ちになれる。諺にも「負けるが勝ち」という。
【人を説得する原則③】
自分の誤りをただちにこころよく認める。
⑷おだやかに話す
この項目での最初の出だしがすでに重要な次の一節です。
腹が立った時、相手を思いっきりやっつければ、
さぞかし胸がすくだろう。だが、やっつけられたほうは、
同じように胸がすくだろうか?
喧嘩ごしでやっつけられて、気持ちよくこちらの思い通りに
動いてくれるだろうか?
こちらの思い通りに動いてくれることは
まず、あり得ないですね^^;
仮に動かざるを得ない状態になったとしても
何かしらの遺恨は残っていることが多いのではないでしょうか?
もし、私たちも誰かから頭ごなしや喧嘩ごしでモノを言われて
屈さざるを得ない形になれば、仮に言いなりになるとしても
「気持ちよく従う」ということはまずないですよね?
相手も同じでしょう。
では、うまく人を動かすためには
どのようにしたら良いのでしょうか?
次の一節が大変参考になるでしょう。
ウッドロー・ウィルソン大統領はこういう。
「もし、相手が拳をかためてやってくれば、
こちらも負けずに拳をかためて迎える。だが、相手が
『お互いによく相談してみようではありませんか。そして、
もし意見の相違があれば、その理由や問題点を突き止めましょう』
と穏やかにいえば、やがて、意見の相違は思ったほどではなく、
互いに忍耐と率直さと善意を持てば、解決できることがわかる」
この一節で重要な事は「穏やかにいう」ということですね。
頭ごなしに言ったり喧嘩ごしで言うのであれば
余りうまく行かないでしょう。
私自身も部下に注意する時などには
必ずこの「穏やかにいう」ということは常に意識してます。
多くの人はビジネス書籍を読んだり、
自分を高めたりすることは重要だと感じ、実践するでしょう。
ですが、全ての人がそうではありません。
ですから、
感情に流されてモノをいう人も多くいます。
私たちにとっては
それは馬鹿者のすることだということは分かっていますが
世の中にはそれが分かっていない人も多くいるのです。
ですから、
こちらの指摘に対して自己防衛や反抗心で迎えて来る場合もあります。
その場合は次のような一節が参考になるでしょう。
相手の心が反抗と憎悪に満ちている時は、
いかに理を尽くしても説得することはできない。
子供を叱る親、権力を振りまわす雇主や夫、口やかましい妻。
こういった人たちは、人間は自分の心を変えたがらない
ということをよく心得ておくべきだ。
人を無理に自分の意見に従わせることはできない。
しかし、優しい打ち解けた態度で話し合えば、
相手の心を変えることもできる。
同じような言葉をリンカーンは100年も前に話しています。
“1ガロンの苦汁よりも一滴の蜂蜜を用いたほうが多くの蠅をとれる”
という古諺はいつの世にも正しい。人間についても同じことがいえる。
もし相手を自分の意見に賛成させたければ、
まず諸君が彼の味方だとわからせることだ。これこそ、
人の心をとらえる一滴の蜂蜜であり、
相手の理性に訴える最善の方法である。
「人を動かす」の中にも書いてあるのですが
イソップ童話の「北風と太陽」の話はご存じでしょうか?
北風と太陽が旅人のコートをどちらが脱がすことができるか。
と競争した話ですね。
まぁ、旅人からしたら迷惑以外の何ものでもないのですが(笑)
結果はご存じのように
北風がビュービュー吹いても脱がすことはできなかったですが、
太陽がポカポカ優しく照らすと旅人は汗をかいてコートを脱いだ。
ということです。
優しさや親切なやり方は
激しい力ずくよりもはるかに効果的。ということですね。
最後にこの北風と太陽の話に関しての一節で締めようと思います。
太陽は風よりも早くオーバーを脱がすことができる。
親切、友愛、感謝は世の一切の怒声よりも
たやすく人の心を変えることができる
この一節はいかなる時も
忘れずに心に留めておきたいモノですね^^
人を説得する原則④
おだやかに話す
⑸“イエス”と答えられる問題を選ぶ
まず、この項目で冒頭の一節が大事な事なのでその一節から。
人と話しをする時、意見の異なる問題を始めに取り上げてはならない。
まず、意見を一致している問題から始め、
それを絶えず強調しながら話を進める。
互いに同一の問題に向かって努力しているのだということを、
相手に理解させるようにし、違いはただその方法だけだと
強調するのである。
最初は、相手に“イエス”といわせるような問題ばかりを取り上げ、
できるだけ“ノー”といわなせないようにしておく。
オーヴァストリート教授が言うには
人はいったん「ノー」というと、それを引っ込めさせるのは
容易ではないそうです。
その心理の裏には自尊心が許さないそうです。
ですから、
初めから「イエス」と言い続けられる方向へ持って行く事が
とても大事なのだそうです。
私もかつて、営業の手引書だったか、
簡易的な心理学の本だったかで読んだことがあります。
もちろん、私がパーソナルトレーナー時代の営業で
この「イエス」に誘導する方法をしたところ、
特に売上が爆発的に伸びたということはありませんでしたが、
コミュニケーションは取りやすくなったと感じています。
まして、「ノー」を言っている相手に話すよりも
初めは「イエス」と言える話をした方が良い事は間違いないです。
次の一節はまさにその通りだと感じます。
人に“イエス”といわせるこの技術は、きわめて簡単だ。
それでいて、この簡単な技術が、あまり用いられない。
頭から反対することによって、自己の重要感を満たしているのかと
思われるような人がよくいる。
生徒にしろ、顧客にしろ、その他、自分の子供、夫、
あるいは妻にしても、初めに“ノー”といわせてしまうと、
それを“イエス”に変えさせるためには、大変な知恵と忍耐がいる。
この項目の最後はやや長い一節にはなりますが
私たちが人を説得して行くのに必要であろう内容ですので、
ぜひともご覧頂きたいです。
人類の思想に大変革をもらたしたアテネの哲人ソクラテスは、
人を説得することにかけては古今を通じての第一人者である。
ソクラテスは、相手の誤りを指摘するようなことは、
決してやらなかった。いわゆる“ソクラテス式問答法”で、
相手から“イエス”という答えを引き出すことを主眼としている。
まず、相手が“イエス”といわざるをえない質問をする。
次の質問もまた“イエス”といわせ、次から次に“イエス”を重ねていわせる、
相手が気が付いた時には、最初に否定していた問題に対して、
いつも間にか“イエス”と答えてしまっているのだ。
相手の誤りを指摘したくなったら、このソクラテスのことを思い出して、
相手に“イエス”といわせてみることだ。
よく、営業の方法や恋愛などでも、
この方法はよく言われます。
営業や恋愛でうまく行くかは分かりませんが、
少なくとも「相手の誤りを指摘したくなった時」には
相手の自尊心を傷つけたり、頭から否定して敵対心を持たれるよりも、
相手に「イエス」と言わせた方がスムーズに行きそうですね^^
【人を説得する原則⑤】
相手が即座に“イエス”と答える問題を選ぶ
⑹しゃべらせる
先ほどの「人に好かれる6原則」で
「聞き手にまわる」という項目がありましたが
それに近い項目かも知れません。
まず、この項目の冒頭の一節が
この項目の重要性を物語っています。
相手を説得しようとして、自分ばかりしゃべる人がいる。
相手に十分しゃべらせるのだ。
相手のことは相手がいちばんよく知っている。
だから、その当人にしゃべらせることだ。
相手のいうことに異論をはさみたくなっても、我慢しなくてはいけない。
相手がいいたいことをまだ持っている限り、
こちらが何をいってもむだだ。
大きな気持ちで辛抱強く、しかも、誠意を持って聞いてやる。
そして、心おきなくしゃべらせてやるのだ。
「説得する」というと
自分たちに主張や意志などを誠心誠意伝えたり、
相手の欲するものが手に入る過程を話したりする印象があります。
要するに「自分が主導で話す」というイメージです。
ですが、相手を説得するには
実は「相手にしゃべらせること」だったのです。
確かに以前、カウンセラーか何かの本を読んだ時に
「人は聞くよりも話す方が好き」という一節があり、
なるほど、「聞く方が好き」という人でも
嬉しい事や嫌な事など聞いて欲しい事がある時には
何をもってしてでも話を聞いて欲しいと思いますね。
ですから、基本的に人は話す方が好きなのです。
これは成功者と呼ばれる人であっても同じです。
このような一節があります。
大体において、成功者と称せられる人は、
若いころにたどった茨の道を回想したがるものだ。
という事は私たちは
私たちが説得したり親交を得たいと思う人と接する時は
「自分がいかに優れているか」を話すよりも
「相手がいかに優れているか」という事を話させることが大事。
という事になりますね。
私を含め、多くの人はやはり
「自分の優れている所」を話したくなるものです。
ましてや、
何かの実績があったり、勤勉だったり向上心、向学心がある場合は
尚更そういう傾向が強い気がします。
ですが、
自分のことを話したい気持ちもあるでしょうケド、
まず、相手に心おきなく話させることが重要なのです。
このパートは最後に
フランスの哲学者ラ・ロシュフーコーの言葉で締めたいと思います。
「敵を作りたければ、友に勝つがいい。
味方を作りたければ、友に勝たせるがいい。」
その理由。人間は誰でも、友より優れている場合には重要感を持ち、
その逆の場合には劣等感を持って羨望や嫉妬を起こすからである。
よく、社内で表彰された人がそれを吹聴し過ぎて
尊敬されるどころか反発される場合も多くあります。
誰しも他人の自慢話を聞かされるよりも
自分の自慢話をしたいワケですから。
多くの優れた友人や多くの仲間の協力や信頼を得たいのであれば、
まず、自分の自慢話は封印して相手が話したい事を
存分に話させてあげる方が有意義になるという事ですね。
【人を説得する原則⑥】
相手にしゃべらせる
⑺思いつかせる
今回のパートの「思いつかせる」とは
一体何のことだろう?と初めに思ったのですが、
冒頭の一節でこのパートの重要性が分かりました。
人から押し付けられた意見よりも、自分で思いついた意見のほうを、
われわれは、はるかに大切にするものである。
すると、人に自分の意見を押しつけようとするのは、
そもそも間違いだと言える。暗示を与えて、
結論は相手に出させるほうが、よほど利口だ。
なるほど、確かに私たちの多くは
人から何か言われてやる時よりも自分から動いた時のほうが
良い結果を出しやすいモノです。
小学生や中学生の時などを思い出してみると
「勉強しなさい」と言われてやる時と
「興味が湧いてきたからやる」というのでは
その成果が全く違うのは言わずものがなですね。
となると優れた親や指導者の多くは
「自分からやりたいと思わせる」という事に長けているのでしょう。
次の一節がまさにその通りです。
人に押しつけられているのだとか、
命令されているのだとかいう感じはだれにしろいやなものだ。
自主的に行動しているのだという感じのほうが、はるかに好ましい。
「人の立場に身を置く」のパートでも
セールス係の例が出来てきましたが、その例が
今回の話にも当てはまりますね。
先ほどのセールス係の話とは違うのですが、
デザイナーが使うスケッチを売り込んでいたセールスマンが
そのデザイナーに何度もスケッチを売り込んでも買ってくれなかったそうです。
そこでそのセールスマンは
「どんなスケッチなら良いと思いますか?」と
そのデザイナーに聞いたそうです。
そして、そのデザイナーの意見を聞いたうえで、
注文通りに仕上げたそうです。
その結果は、もちろん、すべて買い上げたそうです。
その話の流れから次のような一節です。
「何年間も売り込みに失敗していてもの無理もない話だと、
ようやくわかった。それまでわたしは、
こちらの意見を押し売りしようとしていたのだ。
今は逆に相手に意見をのべさせている。
相手は自分がデザインを創作したつもりになっている。
事実、そのとおりなのである。だからこそ売りつける必要はない。
相手が買うのだ。」
私たちも服や靴などの買い物の時などに
店員さんから提案された時に「もっとこんなのが良い」と
自分で言った通りのものを準備してくれたりすると
自分が提案したかのような気持ちで買いやすくなりますね。
相手も同じなのです。
自分で提案したり話したりする事で
「自分が考えた」という気持ちになり、
行動を起こしやすくなるのです。
人を動かしたり説得したりする時に重要な事は
私たちの重要感を満たすことではありません。
相手が話すことで「自分が考えた」と思い、
相手の重要感を満たして行動させることです。
それができる人こそが人を動かし、
人の上に立てる人なのでしょう。
このパートの最後に「老子の教え」で締めたいと思います。
「河や海が数知れぬ渓流のそそぐところになるのは、
身を低きに置くからである。その故に、河や海は
もろもろの渓流に君臨することができる。同様に、
賢者は、人の上に立たんと欲すれば、人の下に身を置き、
人の前に立たんと欲すれば、人の後ろに身を置く。
かくして、賢者は人の上に立てども、
人はその重みを感じることはなく、人の前に立てども、
人の心は傷つくことはない。」
私を含めて、多くの人は自分が先頭になって
周りを引っ張って行こうと思うことが多いかも知れません。
ですが、そうではないのです。
「説得する」というのは
相手を論破することでもなければ、打ち負かすことでもなく、
「相手に話させること」「相手に勝たせること」なのかも知れませんね。
人を説得する原則⑦
相手に思いつかせる
⑻人の身になる
今回のパートも冒頭から興味深い一節です。
相手は間違っているかも知れないが、彼自身は、
自分が間違っているとは決して思っていないものである。
非難は、どんな馬鹿者でもできる。理解することに努めねばならない。
賢明な人間は、相手を理解しようと努める
私自身を振り返ってみると、先ほどの一節の事が
全く出来ていない「馬鹿者」だなと実感します。
自分が正しいと思い、相手を非難したり、上からモノをいったり
まったく相手を理解しようなどと考える事はありませんでした。
今、書いていて思うのは、やはり自分が相手の立場だったら、
絶対に非難された相手や上から目線でモノをいう人に
素直に従ったり、いう事を聞こうとは思わないですね。
この記事の中で今まで出てきたルーズベルトやリンカーン、
ベンジャミン・フランクリンやソクラテスなどの賢人たちは
私よりもはるかに賢いにもかかわらず、非難せずに自分が下になり、
相手を動かしているワケです。
そう考えると、やはり私は反省すべき馬鹿者です^^;
では、具体的にどうすればよいのでしょうか?
その答えは次の一節にあります。
相手の考え、行動には、それぞれ相当の理由があるはずだ。
その理由を探し出さねばならない。
そうすれば、相手の行動、相手の性格に対する鍵まで握ることが出来る。
ほんとうに相手の身になってみることだ。
「もし自分が相手だったら、果たしてどう感じ、どう反応するだろうか」
と自問自答してみるのだ。
これをやると、腹を立てて時間を浪費するのが、ばかばかしくなる。
原因に興味を持てば、結果にも同情が持てるようになるのだ。
おまけに、人の扱いが一段とうまくなる。
もし、上の一節のように
自分の意見や行動に深い関心を示してくれて、
「あわれみ」「かわいそうに思う」という意味ではなく
文字通りの「同情」をしてくれたのであれば、
その相手に深い興味や信頼を置くのではないでしょうか?
もし、あなたがそう思うのであれば
私たちは相手の身になり「もし、自分だったらどう感じるか」
という事を考えてみる価値はありそうですね。
ケネス・グートは次のように言っています。
「自らかえりみて、自分に対する強烈な関心と、
自分以外のものに対するいいかげんな関心とを比較し、
つぎに、その点については、人間はみな同じだということを考えれば
あらゆる職業に必要な原則を把握することができる。
すなわち、人を扱う秘訣は、相手の立場に同情し、
それをよく理解することだ。」
一方的に話を進められたり、相手の意見を押しつけられたりした場合、
私たちは素直に従うことは難しい事が多いです。
ですが、考え方を変えてみて
「どうして相手は一方的に話を進めるのだろう」と考え、
その理由や相手の背景などを考えてみると
その見え方が変わってくると思います。
私たちはここまででいろいろと学んできていますので
そういう考えを持つことができますが、
多くの人はそうではありませんので、私たちは一方的に話を進めたり、
自分の意見を押しつけたりすることは避けた方が良さそうです。
J・S・ニーレンバーグ博士は次のように述べています。
自分の意見をのべるだけでなく、相手の意見をも尊重することから、
話し合いの道が開ける。
まず、話し合いの目的、方向性をはっきりさせて、
相手の身になって話を進め、相手の意見を受け入れて行けば、
こちらの意見も、相手は受け入れる。
よく会議やMTGなどで「一方的過ぎて話にならない」
という話がありますね。
それは話し合いですらないのでしょう。
私たちが相手との話し合いを持つ時には
相手の身になって話を進すすめ、意見を尊重し受け入れるように
心がけて行く事がとても大事になるのです。
この「相手の立場で考える」ということは
人を動かすときだけではなく、私たちが何か頼みごとをする時なども
とても有効な原則になるのです。
今回のパートはその事に関しての一節で締めたいと思います。
他人にものを頼もうとする時には、まず目を閉じて、
相手の立場から物事をよく考えてみようではないか。
「どうすれば、相手はそれをやりたくなるだろうか」と
考えてみるのだ。この方法は面倒にはちがいない。
だが、これによって味方が増え、よりよい結果がたやすく得られる。
この一節を私たちは忘れないように努めたいですね。
私たちは一人で大きな物事を達成したりすることはできませんので、
必ず協力者や理解者などの味方が大事になります。
その味方が増える方法が「相手の立場に身を置く」ということです。
最後にデール・カーネギーが大変興味深い事を言っていますので
それを紹介したいと思います。
本書を読んで、相手の立場になって物事を見極める
ということさえ会得すれば、あなたの生涯にとって
画期的な役割を果たすことになるだろう。
私たち人は忘れやすい生き物です。
ですから、時折、またこのブログに戻ってきていただいて
ざっと流し読みをして頂けると良いかも知れないですね。
私も少しでも多くの人の役に立てれば。という思いから
この記事を作成していますので、
ぜひ、何度も読み返しに帰ってきてください^^
そうする事できっとあなたのお役に立てるでしょう。
【人を説得する原則⑧】
人の身になる
⑼同情を持つ
先ほどのパートでも「同情」に関しては話が出て来ましたが、
今回も冒頭から良い一節があります。
口論や悪感情を消滅させ、相手に善意を持たせて、
あなたのいうことを、おとなしく聞かせる魔法の文句を披露しよう。
「あなたがそう思うのは、もっともです。もしわたしが
あなただったら、やはり、そう思うでしょう。」
こういって話を始めるのだ。
どんなに意地悪な人間でも、こういうふうに答えられると、
おとなしくなるものだ。しかも相手の立場になれば、
当然相手と同じ考えを持つわけだから、この文句には
百パーセント誠意がこもるはずだ。
大概、口論になると「売り言葉に買い言葉」という
言葉があるように、相手をやっつけてやろう。
という気持ちになるものですね。
それを消滅させ、善意を持たせる方法。
ということは、言い換えれば人を説得したり動かすには
それらが必要。ということなのでしょう。
そして更に興味深い一節があります。
われわれが交渉を持つ相手の四分の三は、みな同情に飢えている。
それを与えてやるのだ。好かれることは請け合いである。
先ほどから出て来る賢人たちは
もしかしたらこの気持ちが根底にあるのではないかと
思うような一節です。
「人に与えてあげている」というイメージを持てば
先ほどからあるように自分が後ろに付いたり下になったり、
相手の意見を尊重したりできるということが理解できます。
「小人物に対する態度で私たちの価値が分かる。」
とありましたが、「与えてあげている」という意識を持つ事で
それが大変スムーズになる気がします。
というより私自身が納得できました。
今までの私はそれが理解できませんでしたので
実際にそれを行動にすることが出来ていませんでした。
ですが、既にそれを当たり前のように出来ているからこそ、
彼らは賢人なのでしょう。
ですから、
私たちが「与えてあげている」という認識を持つ事で
スムーズに同情することができるようになれば、
一歩ずつ着実に賢人に近づけるのではないでしょうか。
アーサー・ゲイツ博士が「教育心理学」という本でこう書いているそうです。
人間は一般に同情を欲しがる。子供は傷口を見せたがる。
ときには同情を求めたいばかりに、自分を傷つける事さえある。
大人も同様だ。傷口を見せ、災難や病気の話をする。
殊に手術を受けた時の話などは、事細かに話したがる。
不幸な自分に自己憐憫を感じたい気持ちは、
程度の差こそあれ、だれにでもあるのだ。
確かに私たちもツラい話など「聞いて欲しい話」というのは
少なからずあったりしますね。
そんな時に同情してくれる人がいたら
どんなに心が軽くなるでしょうか。
誰しも一度や二度は経験していることでしょう。
私たちがそうだということは
周りの多くの人たちも同じなのです。
ですから、それを「与えて」あげましょう。
「欲しい」と思っているものを与えてくれる人に対して
嫌悪の感情を抱く人は多くないでしょう。
むしろ、好意を持って接してくれることが多いはずです。
人を説得する原則⑨
相手の考えや希望に対して同情する
⑽美しい心情に呼びかける
「美しい心情」と聞いて私自身は
何となくのイメージしか湧きませんでしたが、
次の一節を読んで、その意味が分かりました。
アメリカの大銀行家であり、美術品収集家として有名な
J・P・モルガンは、人間の心理を分析して
「通常人間の行為には二つの理由がある。一つは、
いかにも美しく潤色された理由、いま一つは、真実の理由である」
といっている。
真実の理由は、ほかの者がとやかくいわなくても、
当人にはわかるはずだ。人間はだれでも理想主義的な傾向を持ち、
自分の行為については、美しく潤色された理由をつけたがる。
そこで相手の考えを変えるためには、
この美しい理由をつけたがっている気持ちに訴えるのが有効だ。
私も含めて多くの人は「素晴らしい自分でありたい」とか
「人から尊敬させるような人でありたい」という願望があります。
これは今までの話で「重要感」を学んで来ましたね^^
ですから、
そういう心情に訴えかけるということが重要だということです。
例えば、仕事をサボるような人でも
決して「自分なんかどう思われていても平気」という人は
案外少ないのです。
実際に私も他の部下から、
「Aさんがサボっていて同じ給料なのに不満です。」
と訴えかけられたので、証拠もないのにAを問い詰めても仕方がないので
休日に職場にアポなしで顔を出したのですが、
その時には「私、こんなに頑張っています!」のような感じでした。
もちろん、私と一緒に仕事をしている時には
まったくサボる気配などなく細かい所に目を配れているスタッフでした。
なので、そういう処にスポットを当てて褒め続けていたら
率先して仕事をしてくれるようになった。という経緯があります。
例え、サボるような人であっても
「頑張っているところを見て欲しい」という心情があるのが
何となく不思議な感じがしましたが(笑)
次の一節が解決してくれました。
「相手の信用状態が不明な時は、彼を立派な紳士とみなし、
そのつもりで取引きを進めると間違いないと、私は経験で知っている。
要するに、人間はだれでも正直で、義務を果たしたいと
思っているのだ。これに対しての例外は、比較的少ない。
人をごまかすような人間でも、相手に心から信頼され、
正直で公平な人物として扱われると、なかなか不正なことは
できなくなるものなのだ。」
ややチープな例えですが
よく学園ドラマなどで先生が信用してくれるので
悪い事をしなくなる生徒などがいますが、そういうことなのでしょう。
一度、信頼出来なのではなか?と思ってしまった相手には
なかなか難しいことかも知れませんが、
それでもなお、信用しようと努めてみる価値はありそうです。
【人を説得する原則⑩】
人の美しい心情に呼びかける。
⑾演出を考える
このパートでまず、覚えておくべきなのはこの一節でしょう。
時代は演出の時代である。単に事実を述べるだけでは十分ではない。
事実に動きを与え、興味を添えて演出しなければならない。
興行的な手法を用いる必要がある。(中略)
人の注意を引くには、これらの方法が何よりも有効だ。
確かに昔から
ドラマや映画で恋愛などの告白するシーンはロマンチックですね。
冬場であればイルミネーションが美しい場所だったり
夏場であれば夕日が美しい場所だったり、
春先であれば桜が舞い散っていたり爽やかな場所だったり。
私もかつてちょっとした演出をしたことがあります。
会社で私の店舗が表彰されたのですが
それをスタッフにただ伝えたのでは面白くないと思い、
やや険しい表情でスタッフみんなを呼びました。
日頃、そんな表情をしないので、みんな動揺気味なのが
手に取るようにわかりました。
そこで、最初はやや声のトーンを落とし気味に話し始め、
途中から同じトーンで「あなたたちは本当に素晴らしい!」
と言いました。
みんなきょとんとしていましたが、
表彰された賞状と心付けを一人ひとりに渡しました。
緊張からの解放と嬉しさで涙するスタッフもいました。
その後、私自身がそのスタッフたちに、その演出について
「心臓に悪いからやめてください!」とたっぷり叱られましたが^^;
実際、良い例ではないかも知れませんが
その後のスタッフみんなの働きぶりが良くなったの見ると
(先ほどの演出は良くなかったですが)演出も大事だと実感します。
【人を説得する原則⑪】
演出を考える
⑿対抗意識を刺激する
このパートはとても分かりやすく興味深いです。
私たちは「ランキング」というものを好みますね。
私も「ビジネス本おすすめランキング」とかがあると
つい見てしまいますし、ランキング上位の本は
やはり読んでみたいと思います。
簡単に言えばそんなイメージです。
また、
鉄鋼王アンドリュー・カーネギーが社長に迎えたほどの人物、
チャールズ・シュワッブも次のように言っています。
「仕事には競争心が大切である。あくどい金もうけの競争ではなく、
他人よりも優れたいという競争心は利用すべきである」
続けて、デール・カーネギーはこう言っています。
優位を占めたいという欲求、対抗意識、負けじ魂(中略)に
訴える法だ。
この負けじ魂が刺激されなかったら、セオドア・ルーズヴェルトも
大統領になっていなかっただろう。
営業職の人などはランキングというか
売上の順位が発表されていたりします。
そのランキングで上位に入ればうれしいと感じるでしょうし、
やる気も出て来るハズです。
もちろん、プレッシャーをかける事を進めているワケでなく
あくまでゲーム性というか楽しみの要素を入れるというイメージです。
ファイアストーン・ゴム会社の創始者である
ハーヴェスト・ファイアストーンは次のように言っています。
「給料さえ出せば人が集まり、人材が確保できるとは限らない。
ゲームの精神を取り入れることが必要だ」
このパートの最後は
ゲーム性に関して興味深い一節で締めたいと思います。
成功者はみなゲームが好きだ。自己表現の機会が与えられるからだ。
存分に腕を振るって相手に打ち勝つ機会、これが、
いろいろな競争や競技を成立させる。
優位を占めたい欲求、重要感を得たい願望、これを刺激するのだ。
スポーツでも仕事でも「優位を占めたい」「重要感を満たしたい」
という欲求や願望で私たちは動くのです。
中には残念ながら悪口や噂話などでそれらを満たそうとする人も
大勢いるのも事実です。
もし、職場などに一人はいるであろう、そういうタイプの人に
上手く競争心や重要感などを与えられたら
水を得た魚のようにイキイキと動いてくれるかも知れませんね。
【人を説得する原則⑫】
対抗意識を刺激する
4、人を変える九原則
⑴まずほめる
私たちは立場によって人を注意したり叱ったり、
また反対に人に注意されたり叱られたりすることもあるでしょう。
その時にどのような言い方であれば
相手は素直に動き、私たちも納得して動けるのでしょうか?
この一節にそのヒントがあります。
われわれはほめられた後では、苦言も大して苦に感じないものだ。
例えば、何かに対してほめられた後に
「もうちょっとこのあたりを改善してみようか。」
と言われたのであれば、私たちも気持ちよく受け入れられます。
私たちがそうだということは周りの人も同じなのです。
私たちはすでに、この記事の中で
「おだやかに話す」ということを学んでいますね。
ですから、私たちが立場的に誰かを注意する場合には
まず、相手をほめた後におだやかに注意を促すと良さそうです。
このパートの最後は
とても分かりやすいD・カーネギーの言葉で締めたいと思います。
まず、相手をほめておくのは、
歯医者がまず局部麻酔をするのによく似ている。
もちろん、あとでガリガリやられるが、麻酔は痛みを消してくれる。
個人的に歯医者さんは怖いので苦手ですが^^;
例えとして、とても分かりやすいです。
【人を変える原則①】
まずほめる
⑵遠回しに注意を与える
私たちは時として直接注意された方が良いと感じる事もあります。
ですが、どうしても直接注意すると感情的になりやすかったり、
上から目線や命令口調になりがちです。
そうなってしまうと反発や反感に繋がりやすく
何かと面倒なことに発展しやすいです。
ですから、同じ事を注意するのであれば
相手の自尊心を傷つけずにスマートに注意した方が
効率が良いのです。
次の一節は覚えておきたいモノでしょう。
人の気持ちや態度を変えようとする場合、
ほんの一言の違いが、成功と失敗の分かれ目になることがある。
人を批判する場合、まずほめておいて、
次に“しかし”という言葉をはさんで、
批判的なことをいいはじめる人が多い。
先ほどのパートの「まずほめる」まではうまくやれても
「しかし」という言葉を使ったが故に失敗してしまうケースです。
せっかく相手は途中まで激励されて良い気分になっていたのに
「しかし」と言われると、先ほどまでのほめことばも
真実ではないように思われてしまう。
私たちはこの記事を通して「お世辞の無意味さ」は
学んできています。
ほめことばが真実でないと相手に思われることは
お世辞どころか本心だったのかさえ疑われてしまい、
批判や叱責の前置きと捉えられてしまいます。
では、どうすれば良いのかと言いますと
次の一節がその答えになるのです。
“しかし”ということばを“そして”に変えると、すぐに成功に転じる。
例えば部下を注意する時に
「先週のフォローはとても助かった!
しかし、今日のこの点は改善したいね」というのと
「先週のフォローはとても助かった!
そして、今日のこの点も改善できれば最高だね!」というのでは
相手が受ける印象が全く違う気がしませんか?
この「遠回しに注意を与える」という方法は
比較的自分に自信がない人や劣等コンプレックスを持っている人など
直接批判や注意されることに強く反発しがちな人には
驚くほど効果があるそうです。
必ず一人や二人は注意や批判を
素直に受け入れられない人がいるものですが
そういう人には遠回しに注意を与えてみると良さそうです。
私もかつて上司に直接的に他のスタッフがいる前で
強い言葉で注意したことがありますが、
それこそ、私に対して角度を変えて反発してきて、面倒でしたので(笑)
今回のパートの内容を知っていたらと今更ながら思います。
今後は同じ轍を踏まないように
私自身も注意して行きたいと思います。
【人を変える原則②】
遠回しに注意を与える。
⑶自分の過ちを話す
私たちは時として人に注意をしたり
叱ったりする必要がある場合もありますね。
今まで学んで来たことを活かしつつ、
今回の「自分の過ちを話す」ということも学んで行きましょう^^
次の一節が大変わかりやすいです。
人に小言をいう場合、謙虚な態度で、自分は決して完全ではなく、
よく失敗するがという前置きをして、それから相手の間違いを
注意してやると、相手はそれほど不愉快な思いをせずにすむものだ。
相手の注意をする場合、特に部下に注意する場合には
仕事に対するモチベーションを著しく下げても仕方がないワケです。
反対に注意することや叱ることによって
やる気を出させたり、モチベーション向上させる事ができてこそ、
注意する意味があるのです。
そのためにも今まで学んで来たように
おだやかに話したり、まずほめるなどをして行くのです。
人に注意をする場合に
「自分も同じミスをやった事があるから気持ちはわかるよ」
と一言あったうえで「失敗しないようにお互い気をつけよう!」
と言われて著しく不快になるということは余りないと思います。
ただの批判や注意ならどんな馬鹿者にでも出来るのです。
ですが、
私たちは同じようにならないために学んでいるのですから、
次の一節もぜひ、覚えておいくてください^^
謙虚と称賛は、われわれの日常の交際にも、
大きな効果を発揮することになるはずだ。
正しく応用すれば、人間に奇蹟を生み出すこともできるだろう。
時としてドラマや小説の中では傲慢不遜な態度のキャラクターが
痛快な働きをすることもありますが、実際には人を愉快にすることはありません。
ですから、私たちは
誰に対しても謙虚さと称賛をもって接する事を心掛けて行きましょう。
なかなか難しい事ではありますが、
賢人たちのようにそれが出来るようになれば
得るものもおおきいハズですから^^
人を変える原則③
まず自分の誤りを話した後、相手に注意を与える
⑷命令しない
繰り返しになりますが、私たちは「人を動かす」を通じて
人をスムーズに動かしたり、人を変えたりする事が出来る事を
望んでいるワケですね。
ですから、
相手が「気持ちよく動く」とか「自分から動きたくなる」
という事が重要になってくるのです。
例えば、ただ単にスムーズに動かしたいだけであれば
今回のパートと反するようですが「命令」すれば良いのです。
入った事はないですし、あくまでテレビや映画などの
イメージでしかありませんが、軍隊などが良い例ではないでしょうか。
「上官の命令だ!」と言われて「イエス!サー!」みたいな感じですね。
ですが、私たちの実社会で私たちがことを成し遂げるために
協力者や理解者を求めている場合や同僚や上司などを
効率よく動かしたい場合には不向きと言えます。
むしろ、反発や反感が多くなり、物事が進みにくくなるものです。
ですから、命令はなるべく避けた方が良いのです。
こんな一説があります。
ヤングはだれに向かっても決して命令的なことはいわなかったそうだ。
命令ではなく、暗示を与えるのだ。
「あれをせよ」「そうしてはいけない」などとは決していわなかった。
「こう考えたらどうだろう」「これでうまく行くだろうか」
などといった具合に相手に意見を求めた。
ヤングとはアメリカ合衆国の財政家、法律家、外交官である
オーエン・D・ヤングのことです。
オーエン・D・ヤングは上記の一節のようにして
いつも自主的に仕事をやらせるようにしていたそうです。
次の一節でこのやり方がいかに効果的かが分かります。
決して命令はせず、自主的にやらせる。そして、失敗によって学ばせた。
こういうやり方をすると、相手は自分のあやまちを直しやすくなる。
また、相手の自尊心を傷つけず、重要感を与えてやることにもなり、
反感の代わりに協力に気持ちを起こさせる。
押しつけがましい命令は、あとにしこりを残す。
たとえそれが、明らかな誤りを正すためであっても、そうだ。
私も失敗の経験があるのですが、
マネジメント職になったばかりの時に
空回りし過ぎて命令口調や上から目線になってしまい、
いちいち反発や反感を持たれ、それを制圧するためにまた高圧的に・・・。
という繰り返しをしていた事があります。
その繰り返しから生産的なものは生まれずに
ただ時間と労力の浪費でしかありませんでした。
ちょっと言い方を変えたり、意見を求めたりすると
驚くほど反感や反発もなくなり、建設的な話し合いになることが
多くなってきました。
(中には私に反発するのが生甲斐のような輩もいましたが)
今更ながら当たり前の事ですが、
どんな相手であっても自尊心を傷つけられたら
反発や反感を持つことは間違いないです。
それをいちいち制圧するための労力は
正直、時間と労力の無駄遣い以外の何物でもありません。
ですから、オーエンのようなやり方をした方が
とても有意義であることは間違いないことです。
人を変える原則④
命令せず、意見を求める。
⑸顔をつぶさない
この項目のはじめの一節はとても重要なものです。
相手の顔を立てる!これは大切なことだ。しかも、
その大切さを理解している人は果たして幾人いるだろうか?
自分の気持ちを通すために、他人の感情を踏みにじって行く。
相手の自尊心などは全く考えない。
人前もかまわず、使用人や子供を叱りとばす。
もう少し考えて、一こと二こと思いやりのあることばをかけ、
相手の心情を理解してやれば、そのほうが、
はるかにうまく行くだろうに!
先ほどから私の失敗例で出て来る話ですが、
上司の顔をよくつぶしました^^;
まさに上の一節どおりに私の部下たちがいる前でも
容赦なく間違いや誤りを指摘したり、
その上司と同列の人たちがいる時でも同じように叩き潰しました^^;
もちろん、その上司が周りの嫌がることばかりしていた。
という経緯はありますが、それでも、顔をつぶし過ぎたかも知れません。
結果的にその上司とは相容れることはなく
常に私に突っかかってくるので私がスルーとか、
私が「時間の無駄ですね」と突っぱねると粘着してくる。
というような関係でした。
やはり、部下にも
「クローバーさんは○○(上司)さんが来ると表情と空気が一変します」
と言われたことがあるので、私にも大いに問題があったのでしょう。
過去の出来事に「もし・たら・れば」はナンセンスですが
今後に活かす反省として言うのであれば
「もし、顔をつぶさないという事を知っていたのであれば」と思います。
ですから、今後に活かすためにも
これからは誰であっても「顔をつぶさない」という事を
私自身が忘れないようにしようと思います。
このパートの最後は
航空界のパイオニアで作家のサンテグジュペリの言葉で
締めたいと思います。
相手の自己評価を傷つけ、自己嫌悪におちいらせることをいったり、
したりする権利は私たちにはない。大切なことは、
相手をわたしがどう評価するか、ではなく、
相手が自分をどう評価するか、である。
相手の人間としての尊厳を傷つけることは、犯罪なのだ。
言い回しや態度、表情で
いくらでも相手の自尊心や尊厳を傷つけない法はあります。
繰り返しになりますが
私自身がこのことを忘れないようにしなくてはいけません。
人を変える原則⑤
顔を立てる
⑹わずかなことでもほめる
今までの話から多くのことを学んできましたが
「ほめる」という事は、人を動かすにしても、
説得するにしても、人を変えるにしても外せない要素なのでしょう。
心理学者のジュス・レア—はこう言っているそうです。
ほめことばは、人間に降りそそぐ日光のようなものだ。
それなしには、花開くことも成長することもできない。
われわれは、事あるごとに批判の冷たい風を人に吹きつけるが、
ほめことばという温かい日光を人にそそごうとはなかなかしない
私たちも少しの褒め言葉で
人生に大きな影響を与えられたような経験があるかも知れません。
職場で必要と思う本を多く読み、研修やセミナーなどに行き、
それをまとめて同期や同僚や後輩たちに共有することがありました。
同期や同僚や後輩なので「ほめられる」というよりは
「感謝される」という方が近いですが、
それでも私の自尊心と重要感を満たすのに十分でした。
ですから、次も頑張ろう。とか
もっと役に立てるように頑張ろう。と思うことができました。
まさにその通りだと思う一節があります。
われわれには、他人から評価され、認められたい願望があり、
そのためはどんなことでもする。
まさに先ほどの私の行動がこの一節のある感じです。
自分の休憩時間や休日を削ってでも「人の役に立ちたい」というのは
裏を返せば「人に認められたい」という事なのかも知れません。
ですから、私たちが周りの人に対して
わずかなことでも惜しみなくほめる事で、
周りの人たちも花開くことができるかも知れません。
このパートの最後はとても魅力的な一節で締めたいと思います。
批判によって、人間の能力はしぼみ、励ましによって、花開く
私たちの周りに私たちのほめ言葉や励ましによって
大輪の花を咲かせた人たちが増えれば増えるほど、
私たちにとってもプラスになってくれるでしょう。
人を変える原則⑥
わずかなことでも、すべて、惜しみなく、心からほめる。
⑺期待をかける
なかなか仕事に身が入っていない部下や
もう少し頑張ってくれたならぁ。と思うような人もいると思います。
今まで学んで来たことを活かしていくと
相手がかなり変わって行くと思います。
今回のパートは私たちの「人にやる気を出させる引き出し」を
増やしていける内容です^^
さっそく、こんな一節から。
ボールドウィン汽車製造会社の
サミュエル・ヴォークレーン社長はこういう。
「どこかいい所を見つけて、それに敬意を表してやると、
大抵の者はこちらの思いどおりについてくる。」
今まで登場してきた賢人たちも
「人の長所を見つける」とか「まずほめる」など
賢人たちや優れた人たちの着眼点が分かってきた気がしますね。
私も含め、私たちの多くは
人の出来ていないところや短所、足りないところに目が行きがちです。
先ほども話しましたが、
この記事を作成していて私自身が「今までは馬鹿者であった」と感じています。
私自身の着眼点を変えて行く事で
周りの人たちを大いに「行動したい!」と思わせるように出来るのだと、
強く感じています。
次の一節も私たちが活用して行くべきものでしょう。
相手に美点を発揮させたければ、彼がその美点を備えていることにして、
公然とそのように扱ってやるがよい。
その人間はあなたの期待を裏切らないように努めるだろう。
先ほども登場したサボり気味の私の部下に
この方法を実践していました。
元々かなり怠惰なタイプなのですが、
先ほどの一節のように「○○(怠惰な部下)さんは頑張ってるね!」とか
「何々してくれるからとても助かっています!」と伝え続けました。
すると「私の前」という限定付きではありますが、
かなりの働きぶりを見せるようになり、
全体的に私がいない時でも今までよりは生産性も上がってきているのです。
ですから、私が着眼点を変えた事で
良い方向に進んでいる形になっています。
よく考えてみれば私自身も
「ダメな人だ」とか「出来ない人だ」と思われるよりも
「何かすごい事をやってくれそうな人だ」とか
「結果を出せそうな人だ!」と周囲に期待された方がやる気がでます。
もちろん、
過度の期待はプレッシャーになる人もいると思いますので、
先ほどの一節に倣って期待をかけてみるといいかも知れませんね。
【人を変える原則⑦】
期待をかける
⑻激励する
今までの話から、ほめたりする事や長所に目を向けるなどを
学んで来たわけですが、今回は「激励する」という事です。
私たちがつい、やってしまいがちな事は、
人に対してマイナスの事を言ってしまったりします。
ですが、それらは人を動かしたり、
人を説得したり、ましてや人を変える事にしたいして
マイナスになる事はあっても、プラスになることはありません。
次の一節は覚えておきたいモノですね。
子供や夫や従業員を、馬鹿だとか、能なしだとか、
才能がないとかいってののしるのは、
向上心の芽を摘み取ってしまうことになる。その逆を行くのだ。
大いに元気付けて、やりさえすれば容易にやれると思いこませ、
そして、相手の能力をこちらは信じていると知らせてやるのだ。
そうすれば相手は、自分の優秀さを示そうと懸命に頑張る。
私たちが学んでいることは、人を動かす事であり、
人を説得することであり、人を変える事を学んでいます。
そして、それらをやる理由は
ただ単に相手を変えたり動かす事ではなく、
私たちにとってプラスの動きをしてもらうためですね。
ですから、
今まで登場してきた賢人たちはそうしているのです。
相手の名前を覚える事もそうですし、
ほめたり、議論を避け、相手に勝たせる事もそうです。
賢人たちは結果として自分の意のままに動いてもらい、
欲しい結果を得るためにそうしているのです。
ですが、世の中の多くの人は
叱咤するつもりなのか、自分の重要感を満たしたいのか分かりませんが
部下や周りの人の自信や向上心の芽を摘み、
やる気を失くさせる事をしたり、言ったりしがちです。
自分の周りに無能な人たちがいくら集まっていても
何も成し遂げられません。
自分の周りに有能な人を集めたり、育てたりするからこそ
素晴らしい力になるのです。
そうなると、周りをののしり、向上心を失わせるのは
愚の骨頂というワケです。
誰しも上司や仲間に「キミならやれると信じている!」と
心から言われたとしたら、頑張る意欲が湧いてくるものです。
あなたはどうでしょうか?
信頼している人や認められたい人、
尊敬する上司などに「キミなら出来ると信じている!」
と心から言われたのであればどう感じるでしょうか?
多くの場合は、その期待に応えようとしたり、
自分の能力を認めてもらおうと奮起するのではないでしょうか?
あなたの周りの人も同じなのです。
ですから、私たちは
周りの人に「自分は出来る!」と思わせ激励し、
自信を持たせることが大事な事になるのです。
人を変える原則⑧
激励して、能力に自信を持たせる
⑼喜んで協力させる
この章のあとに付録のパートがありますが、
【人を動かす】という内容ではこのパートが最後になります。
このパートでの「喜んで協力させる」というのは
一言で言うなら「肩書と地位を与える」という事です。
本の内容から例を出せば、
注意しても効き目がない女性店員にやってもらいたい仕事に係名を決めて
その「主任」という肩書を与える事で、仕事ぶりがガラリと変わったり、
ナポレオン一世も勲章を千五百個もばらまいたり、
十八人の大将に「元帥」の称号を与えたりしたそうです。
人は肩書や権威を与えられると
やはり重要感が満たされ、喜んで協力するようです。
確かに今までの事を考えてみると
特に給与や時給が変わらなくても「リーダー」という肩書を与えると
不思議とそれに相応しくあろうとして、よく動くようになるというのは
間違いないことでしょう。
私自身も特に何も給与面で変わるワケではないですが、
「チームリーダー」に任命された時は自分の時間を大いに費やして、
他のメンバーの2倍は動いたと思います(笑)
そろそろ、まとめに入る時が来たようです。
こんな一説があります。
人を変える必要が生じた場合、次の事項を考えてみるべきだ。
一、誠実であれ。守れない約束はするな。
自分の利益は忘れ、相手の利益だけ考えよ。
二、相手に期待する協力は何か。明確に把握せよ。
三、相手の身になれ。相手の真の望みは何か?
四、あなたに協力すればどんな利益があるか?
五、望みどおりの利益を相手に与えよ。
六、人にものを頼む場合、
その頼みが相手の利益になると気付くように話せ。
そして、このパートの最後はこんな一節で締めたいと思います。
これで必ず相手から良い反応が期待できると考えるのは、
やや単純すぎる。だが、少なくともこの原則を
応用しなかった場合に比べると、相手を変える可能性は高くなる。
これは大勢の人が経験している。
もし、わずか十%でも成功の確率を高めたら、
十パーセントだけ人を変える能力を高めたことになる。
そして、これこそ、努力のもたらす“利益”なのである。
ここまで学んで来たことを何度も学び直し、
完全にマスターしたとしても、100%人を変えられる。
というワケではありません。
ですが、私たちがその努力を続けて行く事で
その「利益」を確実に得る事ができるのです。
本編としてはここまでですので、
このまま、まとめに入って行きます。
まだ付録として
「幸福な家庭をつくる七原則」がありますが
私の思い入れとしてもここで一旦区切ろうと思います。
【感想と終わりに】
私がこの記事を作成しようと思ったきっかけは
私が店長を務めるお店に来てくれたお客さんが
「忙しくてなかなか本が読めない」と言っていたのがきっかけでした。
もしかしたら、
多くの人がそんなことを感じているかも知れない。
なら、要約してあげれば短い時間で概要だけでも分かるのではないか。
ということで始めました。
始める前は2~3日くらいで終わると思っていたのですが、
気が付けば引用なども入れると48000文字を越えています。
もしかしたら、なかなか読むも難しいかな。
とも思いましたが、チープなものにしたくなかったので
そのまま続けることにしました。
私もこの記事を作成するにあたって
何度か流し読みをしましたが、読むたびに新しい発見があります。
この「人を動かす」という本の中には
学ぶことがたくさんあります。
私たちは自分の重要感を満たすために
人を批判したり、議論をして打ち負かしたり、
相手の自尊心を傷つけたりしてしまう事があります。
ですが、
それでは私たちの得たい結果を得ることは難しいのです。
あなたが得たい結果とは
井の中の蛙状態で周りにチヤホヤされる事でしょうか?
おそらく「学ぼう」という意欲がある、あなたですから、
そんな低い次元でチヤホヤされる事が目的ではないハズです。
もちろん、私も同じです。
ですから、
私たちは学び、実践し、努力し続けて行く必要があるのです。
ルーズベルトやフランクリン、ソクラテスやナポレオンに至るまで
多くの賢人たちが登場してきましたが、
彼らも並々ならない努力をしてきたのでしょう。
彼ら賢人たちから学んだことを
出来ないながらも実践し、努力し続ける事で
彼らに少しでも近づくことが出来るかも知れません。
あなたの貴重な時間を使って、この記事を読んで頂いて、
何か少しでも学びがあり、あなたの人生にほんの少しでも
革命を起こす事が出来たのであれば幸いに思います^^
私たちは時に流れとともに学んだ事が薄れたり、
忘れてしまったりするものです。
その時はこのページにいつでも戻ってきてください^^
ちょっとした時間だけでも
何かを思い出す事や気付くことがあるかも知れません。
またいつでもお待ちしております。
一旦ここで区切りますが、
最後までお読み頂きまして本当にありがとうございました。
引き続き付録にも目を通していただけると幸いです^^
付、幸福な家庭をつくる七原則
⑴口やかましくいわない
リンカーンや文豪トルストイなど
後世の名も残すような人たちでも結婚が悲劇となっているそうです。
その大きな原因は夫人の口やかましさやヒステリーなどのようです。
事あるごとに非難を浴びせたり、責めたりし続けたそうです。
その夫人たちの口やかましさや非難で
リンカーンやトルストイを変えたかというと、
確かに変えたそうです。
トルストイに関しては次の一節があります。
ある雪の夜、トルストイは、家庭の不和に堪えかね、
あてでもなく家を出てしまった。十一日後、
彼はある停車場で息を引き取った。死に際の願いは、
夫人を絶対に近づけてくれるなということであった。
リンカーンに関してもこんな一説があります。
このような小言や怒りがリンカーンを変えただろうか?
変わったことは事実だ。彼女に対する態度が変わった。
彼は不幸な結婚を後悔し、
できるだけ彼女と顔を合わせないように努めた。
結果的にリンカーン夫人やトルストイ夫人などの
口やかましい小言は結果として彼女たち自身の生涯に悲劇をもたらし、
一番大切なものを全部破壊してしまったそうです。
これらの事例の反省を活かして
誰しも人の欠点や悪い所はあるものですが
そこに目を付けるのではなく、
良い点や優れた所に着眼したいモノですね。
悪い所や欠点ばかり見て口やかましく言い続けたとしても
良い方向に進むことは、まずないと思った方が良さそうです。
【幸福な家庭をつくる原則①】
口やかましくいわない。
⑵長所をほめる
夫であれば妻の長所を探し
妻であれば夫の良い所を探す。
本来であればこれが当たり前なのかも知れませんが、
時の流れとともに相手の悪い所が目にいて来てしまう事あります。
例え相手が完璧ではなくても
相手の長所を伸ばしてあげることが出来る人は
賢明な人なのです。
それが相手から「幸せ」という気持ちを
持たせる事が出来るのです。
【幸福な家庭をつくる原則②】
長所をほめる
⑶あら探しをしない
円満な家庭を築くためにはあら探しはしない事です。
ロシアのカザリン大帝も、やはりそうだった。
彼女は世界最大の帝国を支配した女帝で、数百万の国民の
殺生与奪の権を握っていた。政治的には相当むごいこともやり、
戦争を起こして無数の敵を殺戮した。だが、
料理人が肉を焼き過ぎた場合、文句の一言もいわずに
笑ってそれを食べた。この点は世の夫はよく見習って頂きたい。
相手の失敗に目を向けて責めるよりも
笑って見過ごして、先ほどと同じように
「良い所の目を向ける」方がよほど有意義です。
こんな一説があります。
離婚問題研究の権威者ドロシー・ディックスの語るところによると、
世の中の結婚のうち、五十パーセント以上は失敗に終わっているそうだ。
新婚の夢が破れ、離婚の憂き目を見る原因の一つは、
あら探しをすることだという。
幸福な家庭を作る原則③
あら探しをしない。
⑷ほめる
なかなか興味深い一節があります。
男性は、自分を美しく見せようとする女性の努力を、賞讃すべきだ。
女性は服装に対して驚くべき関心を持っている。
このことについて、男性は無関心すぎる。
たとえば、一組の男女が街角で別な一組にあったとする。
女性のほうは、めったに男性を見ない。相手の女性の服装を見る。
また、こんな一節もあります。
フランスの上流社会では、男性は婦人の服装について
何度もほめるものと、子供のころから教えられている。
まことに賢明である。
もし、あなたが男性で、妻がいるのであれば
その服装を今からほめてみると良いかも知れませんね。
ほめられて嬉しくない人はいませんし、
ましてや服装などは自分が良いと思って選んだものなので、
心からほめてもらえればきっと喜んでくれるでしょう。
【幸福な家庭を作る原則④】
ほめる。
⑸ささやかな心づくしを怠らない
このパートはかなり重要なように思います。
まず、この一節から行きましょう。
有名なリーノーの町の離婚法廷は週六日間開廷され、
ここで認められた離婚の割合はアメリカ夫婦の一割に上がっている。
そのうち、絶対に離婚の必要があると思われるものはごく少数で、
大抵は、ささやかな愛情を出し惜しんだことが、おもな原因だ。
そうならないためにも次の一節は重要です。
四万件の離婚の訴訟を扱い、二千組の調停に成功したシカゴの
ジョーゼフ・サバス判事がいっている。
「家庭不和の原因の大部分は些細なことである。夫が出勤する時に、
妻が手を振って見送りさえすれば、
離婚が回避できるような場合がいくつもある」
もちろん、
手を振って見送らなかった妻だけに問題があるワケではなく、
それまでの過程で妻にバラの2~3本でも記念日以外で送った事はあるだろか?
そもそも、まず、
妻の誕生日や結婚記念日を忘れたりなどしていないだろうか?
お互いのちょっとした心遣いが家庭の円満を生むのです。
【幸福な家庭を作る原則⑤】
ささやかな心づくしを怠らない。
⑹礼儀を守る
「親しき仲にも礼儀あり」という言葉が示すように
身近な家庭の人たちにおいても礼儀は忘れてはいけません。
こんな一説があります。
無作法は愛情を破壊する癌だ。
それくらいのことは、誰でも知っているはずだが、
とかく、家の者に対しては、知らない人に対する場合よりも
無作法に振る舞う。
また、
礼儀は、いわば結婚生活の潤滑油である
とも言ってます。
最後はこの一節で締めたいと思います。
百万の富をつくるよりも、優しい妻と平和で幸福な家庭を築くほうが、
男にとっては、はるかに意義のあることだが、
家庭円満のために真剣な努力を傾ける男は、百人に一人もいない。
人生で最も重大な事を、成行きにまかせている。
妻に対しては、強圧的な態度をとるよりも、優しい態度を示すほうが
よほど有効なのに、男性はなぜ後者を選ばないのか、
女には理解できない。
あなたが男性であっても女性であっても
「相手に対する優しい態度」は常に心掛けて行きましょう。
【幸福な家庭をつくる原則⑥】
礼儀を守る
⑺正しい性の知恵を持つ
実はこの問題は大変重要な問題のようです。
家庭生活の権威であるポール・ポピノー博士によると
結婚の失敗は通常、四つの原因から起こるという。
以下がその四つです。
一、性生活の不調和 二、余暇利用法についての意見の不一致
三、経済的な困難 四、心身の異常
経済的な理由が最も多いような気がしてましたが、
三番目の理由であることが興味深いのと共に
いかに性ついての問題が重要かということが分かります。
そして、この問題を解決できないために
多くの夫婦は「真の結婚生活を送っているのではなく
単に離婚しないでいるにすぎない」という状態だと言います。
最後にオリヴァー・バターフィールド神父は次のように話します。
「結婚生活の考え方と実際について、割り切った態度で、
遠慮なく議論を重ねることだ。いちばん良いのは、
性知識を正しく教える適当な書物を読むことだ」
以上になります。
付録のパートも思った以上に長くなりました^^;
最後までお付き合い頂きましてありがとうございました!
以下が今回の題材である「人を動かす」です^^
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基本的に当ブログは引き寄せの法則や潜在意識を
学んで行く事が主たる目的であります。ということで
【おススメ記事】
【個人的な記録と反省点】
1日に2~3時間の作業時間で休みの時は5~6時間くらい費やしました。
問題点は睡眠不足と夜更かし状態になることと、
他の読書量が通勤などの移動時間だけになるので著しく減ること。
日数としては10日くらい。
このあたりもスタート時と終了時を明確にして
どれだけの日数がかかったかを記録しておくと良いと思うので
次回、作成する時にはそのあたりも実施しようと思う。
【2017年12月23日作成完了】