こんにちは
クローバーです^^
今回、参拝させていただいた神社さんは、東京都板橋区に鎮座している蓮根氷川神社さんです^^
【目次】
蓮根氷川神社とは
蓮根神社さんは慶長年間(1596年~1615年)に蓮根村字前沼に創建された「蓮沼氷川神社」と同源とされています。
「蓮根村字前沼」という場所は、現在の「舟渡氷川神社」付近という事です。
明治33年に当時の「上蓮沼村」と「根葉村」が合併して「蓮根村」となり、その「蓮根村の鎮守様」として地域の人々の崇敬を受ける事になったとそうです。
そして、大正13年に現在の場所に遷ってきたという事です。
慶長年間と言いますと、まさに「激動の時代」と言ってもいいでしょう。
「慶長年間」に起こった出来事をざっと上げるだけでも、「文禄・慶長の役」とすでにその元号が付いている役がありますし、この役が終わりを告げる要因の一つは慶長3年の秀吉公が亡くなられたという事があります。
そして、ご存じの通り、秀吉公が亡くなられたのちに起こるのは、慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦です。
関ケ原の合戦は家康公率いる東軍の勝利に終わり、その3年後の慶長8年に家康公が「江戸幕府」を開府することになります。
「慶長」という元号が始まってから、ここまでわずか8年間という短い期間に世の中が凄まじい速度で変わって行ったように思います。
当然のことですが、私自身がその時代に生まれ、その時代を見てきたワケではありませんので、実際に生活している人々がどのように感じていたのかを知る由もないのですが、こういった「年表」のような形で見ていると、とんでもなく変化していったような気がします。
慶長年間は20年間あるのですが、後半には19年の大阪冬の陣、20年の大坂夏の陣があり、豊臣家の滅亡と共に「元和偃武(げんなえんぶ)」となります。
元和偃武の「元和」は慶長の次の元号ですので、新しい時代の幕開けと共に慶長という元号は終わりを告げる事になるのです。
このようにざっくり書いただけですが、一つの時代が終わり、新しい時代の幕開けという時の流れを蓮根氷川神社さんは見守り続けてきたのでしょう。
蓮根氷川神社さんのご祭神や御利益
ご祭神:須佐之男命(スサノオノミコト)・奇稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)
スサノオノミコトとクシイナダヒメノミコトはご夫婦の神々様ですので縁結びの御利益で知られています。
また、スサノオノミコトはヤマタノオロチを退治したことでも知られていますので「厄除開運」の御利益でも知られています^^
蓮根氷川神社の御嶽塚と御嶽神社
蓮根氷川神社さんの特徴の一つは、こちらの境内社「御嶽神社」さんと「御嶽塚」ではないでしょうか。
かなり立派な御嶽塚の頂上に鎮座されている御嶽神社は堂々としていて、ご祭神のヤマトタケルノミコトや国常立命(クニノトコタチノカミ)も喜ばれているのではないでしょうか^^
また、のちほど貼っておきますが、蓮根稲荷神社の動画でも分かるのですが御嶽塚の後ろにそびえ立っている御神木が御嶽塚と御嶽神社を守護しているようでとても美しい光景です^^
蓮根稲荷神社
境内社:蓮根稲荷神社
ご祭神はウカノミタマノミコトでしょうか。
石造りの鳥居もあり、奥に鎮座する石祠もとても重厚感があり、立派なお社です^^
稲荷神社さんと言えば、五穀豊穣のご利益で知られていて、現在では五穀豊穣や漁業繁栄などは主たる産業ではないことから「商売繁盛」のご利益として知られています。
また、蓮根氷川神社の境内ではないのですが、紙垂(しで)が付けらているお地蔵様(でしょうか??)が安置されています。
紙垂の意味の一つは「神聖なモノ」を意味していますので、こちらのお地蔵様も神聖な存在という事になるでしょう。
お花も新鮮なものになっていて、地域の人々から大事にされているのでしょう^^
終わりに
昭和44年に建造されたご社殿は鉄筋コンクリート造でとても立派な造りとなっています。
ご社殿も立派ですが、個人的には御嶽塚とその山頂に鎮座されている御嶽神社の石祠がとても美しく感じます^^
参拝させていただいた季節が寒い時期だったため、御神木の葉がない木々も多くありましたので、緑が力強い季節に参拝されて見ると良いかも知れません。
とても静かで落ち着いていて空気が澄んでいる素晴らしい境内の中にある立派なご社殿や御嶽塚など、見所の多い神社さんですので、お近くにお越しの際はぜひ参拝されてみてはいかがでしょうか^^
という感じで今回はこのへんで失礼します。
蓮根氷川神社の動画
ご覧いただいたすべての人に幸運が届きますように♪
蓮根氷川神社のアクセスや最寄り駅
所在地:〒174-0046
東京都板橋区蓮根2-6-1
最寄り駅:
・都営三田線「蓮根」駅より徒歩約10分
・都営三田線「西台」駅より徒歩約13分
TEL:03-3967-2617
蓮根氷川神社の周辺地図
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